これまでネット嫌悪していた私がネット中毒となって気づいたことがある。
暇茶を含め、SNSなどではネットという空間において、個々が相手を空間内における価値判断で人を判断していることが多いと。
ネットは所詮2次元。だが人々は3次元へと拡張したがる。
相手への評価。「私」にとって不都合、不快なものがあると「反論」という行為を愚直にしたくなる。
最近の人はネットに瓶詰め状態だからなのか、そもそも「反論」の「論」の字が欠けていることが多い。
もはや自分の選択肢の中にある「反論」という行為が愚案で無くなるようなほどである。
今どき、「反論」という行為よりその人自身のビジュであったり性格であったり、現実でのその人の像というのを必死に傷つけようとしているように感じる。
そしてその大体は相手がインターネットに描いた一つの虚像を評価軸として弄るというなんとも頭の悪いことをしているわけだ。
この文章を読んで、「お前だって文章構成キモくて頭悪いだろ」なんて野次が飛ぶようであれば、それは相手への単純評価がすぎると自覚したほうが良い。
一度今見ているこの表面的なインターネットという世界で勝手な3次元批判をしている自分を自己批判してみるのはどうだろうか。
暇茶を含め、SNSなどではネットという空間において、個々が相手を空間内における価値判断で人を判断していることが多いと。
ネットは所詮2次元。だが人々は3次元へと拡張したがる。
相手への評価。「私」にとって不都合、不快なものがあると「反論」という行為を愚直にしたくなる。
最近の人はネットに瓶詰め状態だからなのか、そもそも「反論」の「論」の字が欠けていることが多い。
もはや自分の選択肢の中にある「反論」という行為が愚案で無くなるようなほどである。
今どき、「反論」という行為よりその人自身のビジュであったり性格であったり、現実でのその人の像というのを必死に傷つけようとしているように感じる。
そしてその大体は相手がインターネットに描いた一つの虚像を評価軸として弄るというなんとも頭の悪いことをしているわけだ。
この文章を読んで、「お前だって文章構成キモくて頭悪いだろ」なんて野次が飛ぶようであれば、それは相手への単純評価がすぎると自覚したほうが良い。
一度今見ているこの表面的なインターネットという世界で勝手な3次元批判をしている自分を自己批判してみるのはどうだろうか。
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