Himakiji ※海外からログインできません。 ログイン
小説 konann

  1

 高さ六百三十四メートルの東京スカイツリーの塔頂部で男が死んだという事件は、瞬く間にという表現がかなり大げさではあるとしても、その第一報から数時間、いや数十分でトレンドのトップニュースとして扱われた。オレはネットニュースは見ない主義だが、『【速報】東京スカイツリーの塔頂部で男性が不審死』やら『三十代と思われる男性が死亡 東京スカイツリーで何が?』やら『警察は上空から墜落死した可能性を視野に入れ捜査』やらといった言葉のゴミを惜しげもなく貼り付けたコタツ記事は、とてつもなく好意的な言い方をすれば事件そのものをブラッシュアップ、とてつもなく一般的な言い方をすれば事件そのものを不用意に煽り立てていた。
 エルヴィス・プレスリーの乗った飛行機の墜落事故とロズウェル事件を知っているため、オレはこの程度のイベントで民衆と共に騒ぐ気には到底なれず、それよりもこの不可思議な事件の顚末を知りたいという目的だけでテレビの電源を入れ、昼のニュース番組を観た。
 東京スカイツリーとビルを背景に喋る若い男性リポーターの言葉をまとめると、今日の午後二時ごろ、東京スカイツリーの先端に何か黒いものが引っかかっているという観光客からの通報を受け、それを降ろすよう警備会社に連絡したところ、それが男性の死体だった、と死体を地上まで降ろした警備会社の人間が証言している。東京スカイツリーの塔頂部で発見された死体は三十代から四十代と思われる男性で、身元はまだ判明していない。また、男性がどのようにして東京スカイツリーの塔頂部に辿り着いたのかも、どのように死んだのかも判明していないため、警察は事件と事故の両方の路線で捜査を続けている……とのことだった。
 それを画面越しにリポーターから聞いたオレは、あまりにも滅茶苦茶な状況だと、まず何よりもそう思った。そして何かがひらめきそうな予感がしたが、それは結局気のせいで、オレはすっかり落胆してテレビの音量を下げた。
 やはり、現在明らかになっている程度の情報だけでは、この不可解な事件を解決に導く推理を組み立てることはどうやってもできないし、人工知能による急速なテクノロジーの進化の悪用が横行している現代において下手なトリックやマジックなどは無意味でしかないし、そもそもオレにそんな頭はない。
 当たり前のことだが、オレは探偵でもなければ、警察でもない、ただの一般人だ。東京タワー内にあるコンビニでアルバイトをする二十三歳のフリーターには、東京スカイツリーで起きたセンセーショナルな事件の捜査に参加する資格などあるはずがないのだ。
「こりゃあ、すごい事になってるなあ」バイトリーダーの立石がオレと同じテレビを観ながら言った。「俺はスカイツリーなんて、行ったこともないけどね」
「灯台下暗しですね」
 一緒に働いている同僚の華野が、これまた同じテレビを観ながら言った。
「こまった」
 オレは呟いた。
「何がこまったんですか」
「仮に、東京スカイツリーが一時的に封鎖でもしたら、その分こっちに観光客が来るだろう」オレは素直に言った。「仕事が増えそうだって思ったんだ」
「そうだろうなあ」立石がバイトリーダーとは思えないほどだるそうな声で言った。「でもそうなったら、頑張らなくちゃなあ」
「うーん、こまった」
「平見さんがこまったからと言って、その事実をいちいち口にしたところで何の解決にもなりませんが」
 華野が無愛想と突っ慳貪を合わせたような口調で指摘した。
「わかってるけど、なんとなく言いたくなったんだよな」
「そうですか」
 華野は適当に答えた。
 オレは『ミステリと云う勿れ』の久能整ではないが、オレは常々、華野はその名前とその人格がまるで噛み合っていないなと思っている。
 せっかく華野という苗字の下に生まれたのだから、こうサバサバした感じではなく、もうちょっと女らしい立ち振る舞いというのを意識したらどうかと内心思っているが、こういうことを言うとセクハラだなんだと言われてしまうので、やはりオレは自重している。まあ、華野のことだからどうせ問題にしないとは思うが。
 ちなみに、聞き出す機会はまったくないが、もし華野の名前が『桃子』とか『陽香里』とかだったらオレは盛大に笑ってやるつもりでいる。
「あの、平見さん」
 そんな華野に名前を呼ばれた。
「なに?」
「もうすぐ休憩が終わりますが」
 華野にそう言われて、バックルームの中でオレだけがまだ制服を着ていなかったことに気づいた。オレはどうやら、自分で思っている以上に意識をテレビに向けていたらしい。
「平見ってなんかこう、アンバランスだよな」
 立石が、机の上に脱ぎ捨てたままになっていたオレのストライプ柄の制服を見て言った。
「アンバランス?」オレは立石の言っている事がよくわからなかったので聞いた。「華野とどっちがアンバランスに見えます?」
「うーん、まあどっちかと言えば平見かな」立石はさして迷いもせずそう答えたので、オレは軽くショックを受けた。「華野もそれなりにアンバランスではあるけどね」
「それなりに、ですか」
 華野はレンズの分厚さに関しては天下一品といえる黒縁眼鏡を押し上げてそう言った。
「オレは華野よりアンバランスですかね」
「まあ全然僅差だよ、うん」立石はよくわからないことを言った。「僅差僅差」
「平見さんはスカイツリーに行ったことがありますか」
 華野がオレに尋ねた。
「え、オレ?」
「そうです」
「多分ないです。仮に行ってたとしても、記憶にありません」
「私はあります」
「そうなの?」立石がおどろいたように言った。「スカイツリーとか、なんか避けてそうなイメージあったんだけど」
「小学生のとき、修学旅行で行きました」
 そう言うと、華野はオレたちに冷たい視線を向けた。
「修学旅行かあ」オレは少しがっかりして言った。「じゃあ、東京に住んでからは行ってないってこと?」
「はい」
 華野は簡単に答えた。
「俺はたしか沖縄だったね」
 オレが小学生のとき、修学旅行でどこに行ったのかを何とか思い出そうとしたが、それは失敗に終わった。
 世間では、こういう青春時代のトークに混ざることのできない人間はとても可哀想だという風潮があるが、オレの場合は単にどうでもいい過去にすぎなかった。
「そろそろ時間ですね」
 華野が話の流れをぶった斬ってそう言ったからという事情も含まれてはいるが、とにかくオレは机の上の制服を急いで着て、テレビの電源を切った。

  2

 以前、オレはカラフト犬の話をしたが、まさか自分がその『南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像』の上にあるコンビニで働くことになるとは思っていなかった。
 そしてやはりと言うべきか、オレは東京タワーに入る前に必ず『南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像』を見てから出勤していた。今日もその例にもれず、オレは十五頭のカラフト犬に視線を向けてから、職場に向かった。
 例の事件が起きてから、東京スカイツリーの一般公開が禁止ということになり、今日で三日目になる。
 つまり警察は、事件から三日経ってた今でも、犯人を逮捕できていないということになる。もちろん、警察は全力で捜査しているのだと思う。この事件のニュースで映る現場の映像には毎回、おびただしいほどの警察官がいる。去年、G7サミットが広島で行われていたが、こんな数の警察官をいっぺんに見るのは、それぶりかもしれない。
 オレはめずらしく、今日はかなり早めに職場に着いたということで、まだ表にいる他のアルバイトをよそに、バックヤードでひとり小さな画面のテレビを観ていた。
 しばらくすべてのチャンネルを行ったり来たりしていたが、やはりどこの局も賑々しく過剰に報道するだけで、事件の新しい情報をオレに与えてはくれなかった。
 事件から三日。東京スカイツリーの塔頂部で起きた奇妙な殺人事件は、暇な人間からそう暇でもない人間までが、だいたいの人間が心のどこかで気にかけるほどの大事件となっていた。
 この三日間で明らかになった、事件の詳細はこうだ。
 西暦二〇二五年九月十八日午後一時三十三分、東京スカイツリーの塔頂部に何かが引っかかっているという観光客の通報を受け、東京スカイツリーの職員が双眼鏡を使って確認すると、確かに黒い布のようなものが見えたため、警備会社の作業員に降ろさせて回収したところ、そのタイミングで東京スカイツリーの塔頂部に引っかかっていたそれが男性の死体であると確認された。回収された死体はすぐさま警察に引き渡され、身元確認が急がれた。その結果、所持品などから死体の身元は都内在住の自営業、川口徹三十四歳ということが判明した。事件前日の川口の行動は、午後十一時まで従業員たちと茅場町の焼き鳥屋で飲み、その後タクシーに乗って、浜松町駅で降りたところまでは明らかになっているが、その後川口がどこで何をしていたのかは明らかになっていない。ただし、解剖と血液検査の結果から見て、川口が多量のアルコールを摂取した様子はないとのこと。川口の死体は、川口自身の黒いベルトで東京スカイツリーの塔頂部にうつ伏せに固定されていた。死亡推定時刻は十八日の午前九時から午後一時の間。死因は、きわめて強力な電流を体内に流されたことによる感電死。川口の自宅は東駒形にあり、事件前日にタクシーで浜松町駅に向かった理由は不明。また事件前日から当日にかけて、東京スカイツリーに接近する不審な飛行物体(ヘリコプターやハンググライダー、ドローンなど)は今のところ確認されていない。以上。
 オレは落胆しながらテレビを消して、座り心地のよくないパイプ椅子の向きを直し、そういえばさっきまでオレが観ていたテレビの電波を流すのも東京スカイツリーの仕事だったな、と今更なことを考えた。
「こんにちは」そこに華野が現れた。「今日は早いですね」
「電車の調子が良かったみたいだ」
 オレは適当なことを言った。
「私は徒歩でここまで来ていますが」
「知らない」
「私も、平見さんが電車通勤だとは知りませんでした」
「そうだな」
 オレは誰も座っていないパイブ椅子の上にテレビのリモコンを置きっ放しにしていることを思い出し、リモコンを机の上に移動させた。
「テレビを観ていたんですか」
 華野が座り心地のよくないパイプ椅子に座りながら尋ねた。
「うん」
「何の番組ですか」
「ニュース番組を行ったり来たり」
「そうですか」
 相変わらず、華野にはサービス精神というものが欠如している。華野の年齢は知らないが、こいつが将来どういう道を歩んでいくのかはそれなりに気になる。少なくとも、人と喋る仕事が向いているとは思えない。ならばなぜ華野はコンビニで働いているのだろうか。
 そういうことをオレが考えていると、華野はそれを見透かしたように眼鏡を押し上げてこちらを見てきた。
「おーうぃ。お疲れい」
 間延びした声でそう言いながら、立石がバックヤードに出てきた。
「お疲れ様です」
「平見、なんか今日はやけに早いな」立石は小さく眉をひそめた。「いつもは結構ギリギリに来るのに」
「電車の調子がすこぶる良かったんです」
 オレはまた適当なことを言った。
「そうか。それはいいことだ」
 立石は缶コーヒーを開けて、豪快に飲んだ。
「華野は徒歩ですけど、立石さんはどうやってここまで来てるんですか?」
 オレは一時間以上早く出勤している立石に尋ねた。
「俺はバイク。最近買い替えたばっかり」
「バイク?」オレはおどろいて言った。「バイク乗ってんすか」
「そこまで派手なバイクじゃないけど、シンプルイズベストって感じで俺は気に入ってるよ」
「そうなんですね」公共交通機関を使っているのがみみっちく思えてきた。「オレは一応免許持ってます」
「バイクの?」
「ああいや、普通免許」
「そうか」
 立石はがっかりしたような表情を浮かべた。
「でも車は持ってないです。金がなくて」
「私は免許を持っていません」
 ここまで黙っていた華野が口を開いた。
「へえ」立石はパイプ椅子に座った。「華野さんは車がなくてもこまならそうだけど」
「そうですね」
「別にオレもこまりませんけど」
「そうですか」
 華野が同じようなことを言って、しばらく無言の時間が流れたあと、近所を通りかかるパトカーのサイレンが聞こえた。
「スカイツリーの事件以降、なんかパトカーがよく通る気がするんだけど、気のせいかなあ」
「どうでしょうね。オレはそうでもない気がしますけど」
 これは最初から思っていたのだが、なぜ事件の被害者は、スカイツリーのてっぺんで殺されなければならなかったのだろう? なぜ犯人は、スカイツリーのてっぺんで殺さなければならなかったのだろう? そして、なぜ事件はスカイツリーのてっぺんで起こらなければならなかったのだろう? おそらく事件を知っている犯人以外の人間は全員、そんなことを思っているだろう。
 そして、さらに突っ込んで言ってしまえば、
 ……どうやって?
 極端なことを言ってしまえば、殺人の理由などはさして重要ではない。何だっていい。純粋に被害者を殺したかったからでも、被害者を目立たせたかったからでも、犯人として人知れず目立ちたかったからでも、供養のためでも、神様のためでも、金のためでも、何でもいい。とにかく、犯人は何かしらの理由で、スカイツリーの塔頂部に死体を置いた。ひとまず、理由に関してはそれでいい。それで納得してみせよう。
 だが、その手法ということになればそうはいかない。
 人の数だけ思考はあるし、人の数だけ嗜好はあるのだから、動機については想像に任せておいても別にさして問題はないが、その手法に関してはそうはいかない。その点に完全なる無関心でいられるほど、オレの人格は破綻してはいない。
 考えうる限りの限界と、考えうる限りの制限の中で、犯人は一体どのようなトリックであの滅茶苦茶な犯罪を完成させたのかが、どうしてもオレには解らない。
「いやー、やっぱり怖いなあ」
「そうですかね」
 名探偵の舞台装置でしかない無能な警部のようなことを一心に考えているオレを差し置いて、二人は近所の井戸端会議的な会話を進めていた。
「そもそも、ここからスカイツリーってだいぶ遠いしなあ」
「それでも、ごっちゃになってる外国人観光客はたまに見かけます」
「東京って、狭いようで広いですよね」
 三人でそんなことを話しながら、オレは東京タワーのふもとにある『南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像』のことを思い出していた。

  3

 もしもオレがミスチルでなくとも、三色の彩りを求めたくなるほどにモノクロな毎日が単調に過ぎていったが、イベントというものはある日突然起きるものだ。
 その日オレは、いつも通り出勤するために支度を終えてから外に出て、いつも通りに長いエスカレーターを下り、いつも通り大江戸線に乗り込んだ。
 そしていつも通り、午前九時ごろに赤羽橋駅に到着し、いつも通りに長いエスカレーターを上がって地上に出た。
 街を取り巻く異変には、その時点で気づいていた。
 一台のヘリコプターが、東京タワーの上空を飛び回っているのが見えたからだ。
 その機体はあまりにも低空飛行すぎたため、そんなまさかと一瞬思ったが、さすがにそんなわけはないとオレは自分を安心させ、そのままいつも通りのペースで歩き、いつも通りに十五頭のカラフト犬の前に立ち寄った。南極の厳しい環境に耐えた十五頭のカラフト犬たちは、はるか頭上を旋回する白いヘリコプターなど気に留めてもいないようだが、さすがにそこまで達観はできない。
 例の事件の映像で見かけたヘリコプターが、今オレの目の前に飛んでいる。そう考えると、やはりこれはただ事ではない。
 だから、とりあえずオレは反対側の駐車場に駆け出した。とてつもなく騒がしい声がオレの耳に、そしてカラフト犬にも届いたのだ。
 事件の予感。
 オレの周りで、何かが起こっている。
 駐車場の前には、人だかりができていた。東京タワーに駆けつけた各局のリポーターが、それぞれの言葉で現場の状況を一心に伝えている。
 無数のテレビカメラは東京タワーと、自分のテレビ局のリポーターと、それらを囲む大勢の野次馬たちとを慌ただしく撮影していた。そこから少し離れたところに、赤色のランプを点灯させたパトカーと救急車が停車している。
 警察官が、増えていくばかりの野次馬たちをなんとか抑え込もうとしているが、やはり苦戦している。予期できない人のうねりは、封鎖された東京タワーに迫らんとしていた。
 オレはそんな野次馬の中にそれとなく混ざると、その場にいる誰もがしているように東京タワーを見上げてみたが、そこには旋回を続ける一台のヘリコプターと、いつも通りの東京タワーがあるだけ。
 オレがあっけに取られていると、野次馬の中からオレの名前を呼ぶ声が聞こえた。
 ヘリコプターの轟音と戦いながら声の主を探すと、リアルタイムな事件に浮き足立った様子の立石の姿を少し遠くに見つけた。
「平見! お前も来たか!」立石は叫びながらオレの横に走ってきた。東京タワーを取り巻く野次馬の声で、叫びでもしないと聞こえないのだろう。「事件が目の前で起こってるぞ! これはすごいな」
「とりあえず、人が多すぎる」
 おおよそバイトリーダーとは思えない発言を繰り返す立石に、オレは素直な感想を告げた。
「さっき行ってみたら、全面閉鎖だって言われたぞ」
「そういえば、華野はどこにいるんだ」
「知らねえよ。つうかそれどころじゃねえだろ」
 立石の言葉遣いも普段より荒くなっているが、確かにその通りだと思って、オレは家から持ってきた水筒をリュックから出して麦茶を飲む。こんな騒ぎの中でも、やっぱり茶は落ち着くなと思った。
「閉鎖って、一体いつから」
「東京タワーのてっぺんに人影があるって通報があったらしくて、全員外に出されて閉鎖だ」立石は落ち着きのない様子で東京タワーを見上げていた。「ああクソ! まったく見えないだろうが! こんなに近くで事件が起きてるってのによ!」
 身も心も野次馬になってしまった立石をよそに、オレはなんとなくで華野を探した。華野なら、こんな事件の中でも冷静なのではないかと、そう思ったが、野次馬の中に分厚い眼鏡をかけた華野の姿は見当たらなかった。
「マジで全然見えねえ! クッソ、こんな近くにいるのに!」
「三百三十三メートルも離れてたら、意外と見えないもんだなあ」
「うるせえよ」どちらかというと独り言のつもりで言ったことを拾われたので、オレは一瞬戸惑った。「おい平見、お前双眼鏡とか持ってないのかよ」
「持ってるわけない」
「クソ、使えねえな」
 立石はリュックから携帯電話を取り出すと、急いで画面の操作を始めた。
「何やってるんだ」
 オレは尋ねてみた。
「ここからじゃ見えないから、テレビの中継を見るんだよ。お前も見るか?」
「テレビ? スマホで?」
「そうだけど、何」
「もしかして、それは『携帯電話・移動体端末向けの1セグメント部分受信サービス』を使っているのか?」
「はあ?」立石はあきれたような表情を浮かべた。「お前はワープロのことをワードプロセッサって言うのか? エイズのことを後天性免疫不全症候群って言うのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
 オレは必死に弁解した。
「そもそも、これはワンセグじゃねえよ。平見の中身にはおっさんが入ってるのか? ティーバーだよティーバー」
「フィーバー?」
「はあ」立石はついに無表情になってしまった。「何も知らないんだな。じゃあほら、おい、とりあえず一緒に見ようぜ」
「頼む」
 立石はスマホの画面を傾けて、オレにも見えるようにした。
 その小さな液晶画面には、広告と思われる動画が一瞬だけ流れたが、それが終わるとすぐにニュース番組が映った。
「来た」
 立石が小さく呟いた。番組のテロップには『生中継 東京タワーの塔頂部に死体と思われる人影』とある。やはり立石の言っていた通り、東京タワーのてっぺんには死体が引っかかっているようだった。
 予想通りといえば、あまりにもその通りなテレビの画面に、いつものオレならば当然のごとく冷笑していたところだが、どうやら今回ばかりはそうはいかないようだった。
 事件の犯人の考えが、本当に読めなかったからだ。
 犯人は馬鹿なのか。
 あるいは、とんでもなく自信家なのか。
 あるいは、とんでもなく馬鹿な自信家なのか……。
 東京タワー自体がまったくのノーマークだったとはいえ、例の事件以降、なかば東京全体が得体の知れない殺人犯にうっすらと怯え、警戒していた中でこの殺人を……それも再び東京のランドマークのてっぺんで?
 なかなか、いやずいぶんと無理を通すやつだ。
 オレが立石のスマホに意識を戻すと、どこかで見覚えのある女性リポーターが今の状況を繰り返し説明しているところだった。
『えー……こちら現場では、三十分ほど前、東京タワーの塔頂部の避雷針に誰かがいるとの通報を受け、現在警備会社の職員が確認に向かっているとの事で……』
「そんなことは知ってんだよ!」
 立石がいきなり大声を出したので、オレは思わず周囲の視線を気にしてしまったが、幸いみんなそれどころじゃない様子だったので、オレはこの状況に初めて安堵を覚えた。
 と、スマホの映像が突然切り替わった。リポーターから、東京タワーに、立石が望んでいたであろう映像に切り替わった。
「おお!」
 立石は喜びというよりは叫びに近い声をあげた。そして、携帯電話の小さな画面を食い入るように見ている。東京タワーの先端に、確かに黒っぽい物体がある。しかしこれが死体なのかどうか、オレには判断できなかった。
 オレの感想はともかく、その黒い物体に接近する白っぽい物体が、よく見ると画面下部に映っていた。あれが警備会社の作業員だろうか。しかし、被写体がカメラから遠すぎて、どちらもはっきりと見ることはできない。
「クソ」立石は舌打ちした。「ちゃんと映せよな。カメラマン仕事してくれよ! 何やってんの」
 立石の怒号をそれとなく気にかけながら画面を注視していると、どうやら作業員と思われる人影が鉄骨を登っていく様子が解ったが、肝心の東京タワーの塔頂部にはあまりカメラが向けられなかった。おそらく、生中継ということで慎重になっているのだろうとオレは推測する。
 それでも、画面に映る黒っぽいものの正体が人間なのは解ったし、それが東京タワーの先端に乗っているということも十分に解った。上空の強風のためか、たまに全体が大きく揺れ、そのたびに立石が悲鳴があげる。
 やがて、作業員が塔頂部に到達した。そのためか、立石をふくめた野次馬のボルテージもさらに上がっていき、それに呼応するように、リポーターたちの声にも熱と力が入っていく。
 そんな地上の狂乱など素知らぬ顔で、作業員は確実に作業を進めていく。折り畳み式の白い担架を空中で広げて、その上に死体と思わしき物をゆっくりと乗せ、およそ地上三百三十三メートルの上空で吹き荒れる強風にあおられないように、慎重に長い時間をかけて太いロープで降ろすと、地上で待ち受けていた救急隊がそれを救急車へと運んだ。
 地上でブルーシートが広げられ、テレビカメラや一部の野次馬がそこへ駆け出していく。立石も駆け出した。
 数秒間だけ、その運び出されていく人間の顔が見えた。
 それは、完璧な死体だった。
 唾液の乾ききった口のすべてが見えるほど、大口を開けて死んでいた。苦痛のためか、それとも何か言いながら死んでいったのかは解らないが、そのどちらにしても死に様としては最悪の顔だ。
 そして、顔が隠れて見えなくなる。
 死体を見たオレは、その瞬間から自分の心拍数がひどく上がっている事に気がついた。
 いかにも素人のやりそうな反応だと思った。
 オレはさっき見た死体の顔を、できる限り鮮明に思い出そうとした。
 何度思い出してもそれは、東京ビッグサイトで、『M3』で、オレに早口で的確な指示をくれた、あの高橋の顔だった。

  4

 その翌日の十月一日、オレは突然無職になった。オレの働いていたコンビニの親会社が、今回の事件を受けてかそうでないかは不明だが、とにかく東京タワーから撤退したと朝イチの電話で伝えられた。
 というわけで、こんなにもあっさりと職を失ったオレが東京タワーに出向く必要はなかったのだが、東京タワーの関係者(コンビニの従業員)として警察に呼ばれているので、昼過ぎにマンションを出なければならなかった。
 電話によると、これはオレだけでなく、立石や華野をふくめた全員のアルバイトが呼ばれているとの事だったが、着いてみると誰もいなかった。どうやら、ひとりひとり別の場所で話を聞かれるらしい。少なくともオレは、コンビニのバックルームでいくつかの聞き取りを受けた。
 ドラマやニュースでしか見ないと思っていた、事情聴取という概念に初めて触れたオレは、高橋とは『M3』のアルバイトで顔見知りだということ(向こうがオレのことを覚えているかどうかは知らないが)、早口で滑舌がいいということ、オレも高橋もお互いの連絡先を知らないということ、それぐらいしかオレは知らないので、それぐらいのことを説明した。一応、事件の詳細をそれとなく聞き出そうともしてみたが、調査中ですのでという一本刀でガードされた。刀でガードというのも何だかおかしいが。
 そして午後二時半ごろ、オレは解放された。
 オレがコンビニを出て、そこからすぐの場所にある通路に、華野が立っていた。
 たいへんに不機嫌そうな表情をしていたが、これが華野の基本姿勢なのを知っているオレは、軽く手を上げた。
「失職してしまったな」
「平見さんも、事情聴取でしたか」
「初めての事だからドキドキしたよ」
「これからどうされるんですか」
 華野はあいかわらずの分厚い眼鏡を押し上げて言った。
「どうもこうもない。別の職を見つけるだけだね」オレは将来に対する不安を隠した。「そちらさんは?」
「おそらく、私も平見さんと同じような状況になるでしょう」
「そうか、お互い大変だな。巨大な資本に振り回されて」
「大げさですね」華野は事実を宣告するような口調だった。「平見さん、短い間ではありましたが、ありがとうございました」
「何のお礼なのかわからないけど、とりあえずありがとう。それにしても、お互いに感謝されるようなことをした覚えはないんだけど」
 オレは正直な実感を口にした。
「社交辞令です」
「正直すぎるほど正直だな」
 オレは感心して言った。
「またどこかで会えますか」
「それも社交辞令?」
「失礼します」
 華野は踵を返して、そのまま通路を進んだ。そして、一度もこちらに振り返らなかった。
 そのタイミングで、オレは申し訳ないことをしたのかもしれないとようやく直感したが、その頃には華野の姿はどこかに消えてしまっていた。
 華野に関してはとりあえず諦めて、オレは自宅に帰るために東京タワーを出た。
 そこで背後から声をかけられた。
 オレは一度たりとも振り返らなかったが、多分マスコミの連中だ。このよく通る男の声は、おそらくリポーターのそれだ。テレビカメラ特有の威圧感は、背中でも感じられる。
 そしてオレは、一目散に逃げ出した。要するに面倒だったのだ。スーツの野郎に、軽装のオレが足の速さで負ける道理はない。
 オレは関係者以外立ち入り禁止のエリアに軽々と侵入し、反対側の出入り口へとショートカットした。
 普段行くことのない、向こう側の出入り口の前には東京タワーの大きな模型が置かれていた。それは作りが妙に細かく、その全長はオレの一・五倍はあった。
 そして、そんな模型を熱心に観察する一人の見知った人間を見つけてしまい、オレは思わず足を止めてしまう。
 セーラー服。
 ガキみたいな体型。
 ガキみたいな髪型。
 あの時の、女子高生探偵。
 オレの知っている、赤井茉庭そのもの。
 赤井はこの近辺では有名なお嬢様学校のセーラー服を着ていたが、身長がかなり低いため、私服であったら確実に中学生と間違われていただろう。背丈や髪型といった中学生の要素を除けば、その聡明そうな瞳は今も健在で、その見た目に関しても、東京ビッグサイトで会ったときとほとんど変わっていないように見える。こいつは、おそらくこのまま大人になるのだろう。残酷な話だ。
「おい」
 オレは赤井の様子を確認して、声をかけた。赤井はオレに気づくと、単なる笑顔を浮かべてこちらに寄ってきた。
「月並みな台詞ですが、お久しぶりです」赤井は恭しく頭を下げた。「二度も事件に巻き込まれるなんて、平見さんはまるで探偵助手みたいですね」
「一度はお前の勝手な自己満足だ」
「覚えていません」
 赤井はしらを切った。
「お前、どうしてここにいる」
 オレは純粋な疑問をぶつけた。
 すると赤井は、東京タワーの模型を指差して、そのまま肩をすくめると、凛とした二つの瞳を柔らかく歪めて、年の割にはなかなか優雅な微笑を形成した。
「事件が起きたからです」
 ようやく赤井は口を開いた。そこでとりあえず、オレはあたりを見回した。マスコミの連中はどうやら追ってこないようだ。
「ふうん」オレは安心して言った。「それで、探偵の出番というわけか」
「そうです」
「意外と働き者なんだな」
 オレは赤井の貧弱な身体を見下ろした。
「それにしても、世間を騒がすスカイツリー殺人事件の犯人が、また現れるだなんて」赤井はすくめた肩を戻した。「予想外です」
「同一犯とは限らないだろ」
 オレはとっさに言った。
「いやまあ、その可能性もありますが」
「いずれにせよ、被害者は人生の最後を東京タワーで迎えることになるとは、ただの一度も予想していなかっただろうな」
「ところで今、平見さんは立ち入り禁止エリアから堂々と出てきたように見えたんですが」
「オレは関係者だからな」
 オレは東京タワーの模型を見た。
「このへんはマスコミがうようよしてますからね。平見さんも気をつけてください」
「まったくだ。連中が見たいストーリーを勝手に作るのはかまわないが、そこにオレを巻き込まないでほしいもんだ」オレは東京タワーの模型から視線を外し、ささやかな怒りをあらわにした。「それよりも、お前のほうがオレより目立つ格好をしているとは思わないのか」
「思いません」赤井は簡単に答えた。「それに、誰かが面白いストーリーを見るためには、代わりに誰かが面白くない思いをしなければならないのです」
「残念な世の中だな」
「『ドラマは常に真実を要求されておるからなあ』と、ロボット長官もおっしゃってましたね」
「ロボット長官?」
「聞き流してください」
「まあとにかくだ、感情を不用意に上げたり下げたりして、それの何が楽しいんだってオレは思うよ」オレは視線を動かさずに言った。「まったく、頭が疲れるだけだ」
「もしかして、平見さんは『ごんぎつね』も『フランダーズの犬』も受けつけないタイプの人ですか?」
「動物の力は偉大だと思っているが」
 赤井の質問に対して、オレは何と言えば良いのかわからなかったので、とりあえず煙に巻いて逃れようとした。
「そうですかね」
「まあなんというか、受けつけないというよりも……面倒だろ」
 ドキドキやワクワク。
 喜怒哀楽。
 そのような感情を意図的に刺激し、泣いたり笑ったりする意味が、オレにはわからなかった。
 このトチ狂った世の中には、犬が死んだり妻が死んだりするストーリーを『ストレス解消』として使う者や、いじめや殺人といったストーリーを『娯楽』として使う者が数多く存在しているらしいが、オレは二十三年生きてきた中で、そいつらの感性をいまだ理解できずにいる。そういうストーリーや、そういうドラマを簡単に受け入れて、自分のものにしようとする連中に対して、オレはついこう思ってしまう。
 気持ち悪い。
「なかなかのものですね」
 赤井の軽い暴言によって、オレの暗い思考はそこで停止した。
「それがどういうニュアンスなのかオレには解らないが、もし解ったとしても『ごんぎつね』や『フランダーズの犬』を見てすっきりした気持ちになる気持ち悪い人間が世の中にいることに変わりはないし、そういう連中と比べればオレは多少はマシだなと自分を分析しているつもりだ。だから、問題ない」
 オレは一気にまくしたてた。
「下手な物語よりも、物語的な日々を過ごした人の発想ですね」
「どういう意味だ」
「なんでもないです」
「変な奴だな」
「月並みな台詞ですが、この後はお暇ですか?」
「お暇だ。失職したんだから」
「失職?」赤井は一瞬だけ目を丸くした。「まあ、それはこの際いいでしょう。平見さん、私の誘いを受けていただけませんか」
「誘い?」
 オレは赤井の凛とした瞳に視線を集めて、そう尋ねた。
「連れて行ってほしいところがあるんです」

  5

 オレと赤井は、東京タワーからそれほど歩かないところにあるオープンカフェでアイスコーヒーとティラミス、ジンジャーエールとレモンケーキとバターフィナンシェをそれぞれ頼んでから、屋外のテラスに向かい合う形で座った。
 夏の勢いはこれから右肩下がりになっていくが、とはいえこの時間帯の日差しはあいかわらずきついし、何よりもオレはさっき声をかけられたマスコミの連中がこのあたりをうろついていないか心配だったのだが、赤井がここで話しましょうと言って聞かなかったのでオレはそれを渋々了承した。
 注文して席に座ってから、オレたちは一言も言葉を交わしていなかったので、こっちから何か言ったほうがいいのかもしれないとオレが思案していると、そこにコーヒーとレモネード、そして菓子類が一気に提供された。
「ありがとうございます」
 オレは年長者らしく、明快かつ丁寧な声で感謝を伝えた。
「ごゆっくりどうぞ~」
 オレと同年代ぐらいに見えるウエイトレスの女が店の奥に引っ込んでいくのを見て、赤井はストローでレモネードを飲んだ。オレはストローを外し、透明なグラスに口をつけてコーヒーを飲んだ。苦味もあるが、咽喉越し爽やか。
「レモネードは美味しいですね」
 ようやく赤井が口を開いたので、オレは少し安心した。
「良かったな」
「ええ。とても良いですよ」
 赤井はそう言って、またストローでレモネードを飲んだ。
「それで、本題に入りたい」オレは声をひそめて言った。「事件の謎は解けたのか?」
 オレはこいつが探偵だということを、まだ百パーセント信用してはいないが、それでも何割かは探偵としての赤井を信じていた。
「平見さんはせっかちですね」赤井は咳払いをした。「八月の十八日に東京スカイツリーで起きた第一の殺人は、その内容はもちろんのこと、ほかにも不可解な点がいくつかあります」
 オレは赤井の言葉を黙って聞いていた。赤井はオレの質問には直接答えていないからだ。
「まず、被害者である川口徹がスカイツリーの塔頂部にいると通報した人物が、判明していません」
「そうなのか」
 初めて知る情報だった。
「テレビやネットではほとんど知られていませんが、一応警察はそのように発表してます」
「話半分ってとこだな」オレは自分の経験をもとに感想を口にした。「その通報者が犯人だってことか」
「その可能性はありますが、だとするとこの事件の犯人は徹底的な愉快犯ということになりますね。殺人から通報まで全部を一人で完結させた、つまりは自作自演というわけですから」
「そうだな」
「こんなに不可解な殺人事件が起きているというのに、平見さんはなかなかに月並みな犯人像を浮かべているんですね」
 赤井はバターフィナンシェをかじった。
「月並み以上を求めるのは素人の証拠だ」
「同感です」赤井はレモネードで口を潤した。オレはまだ何も食べていないというのに、赤井はもうレモネードを三回も飲んでいる。「まあ、誰が通報していようと、それは私ではなく警察の仕事ですから、おとなしく警察にまかせておきます」
「すべて警察の仕事だから、全部警察にまかせておけ」
「そしてもう一つ」オレの軽口は無視された。「被害者の川口徹は、スカイツリーの塔頂部で殺される前日に、茅場町から浜松町駅までの距離をタクシーに乗って移動しました。そして、川口徹の生活圏内に浜松町はふくまれていません」
「被害者の家族構成をオレは知らないが、三十年以上生きていれば、人に言えない秘密の一つや二つはあるだろう。誰にも言っていないだけで、浜松のほうに知り合いがいるかもしれないじゃないか」
「浮気相手ということですか?」赤井は怪訝そうな表情になった。「下世話な話ですね」
「高度な誘導尋問だな」
「それを言われると、なかなか返す言葉が見つかりませんね」
 赤井はまたバターフィナンシェを一口かじった。オレもコーヒーを一口飲んだ。
「話をつづけろ」
「わかりました」赤井はフィナンシェを食べた後はレモネードで口を潤すというところまでをセットで行動してから、ようやく口を動かした。「それから十三日後の八月三十一日、ここ東京タワーで起きた第二の殺人もまた、不可解な事件です。高さこそ下がってはいますが、それにしたって三百三十三メートルの電波塔で人を殺すなんて、やはり難しい話です」
「難しいのレベルを超えているよな」
「そこで、二人目の被害者である高橋祐介もまた、事件前日の夜に不可解な行動を取っていたのです」
 オレは高橋のフルネームを初めて知った。本当にどこにでもいそうな名前だ。
「そうなのか」これは初耳だったので、オレは素直におどろいた。「テレビの情報か?」
「はい。事件の前日……ですから一昨日の三十日の午後十時半頃ですね。高橋祐介には付き合っている女がいたらしいのですが、同棲している彼女いわく『ちょっと散歩してくる』と言って、その女の家を出たそうです」赤井は今度はレモンケーキを一口食べた。「高橋祐介はそのまま帰宅せず、翌日三十一日に東京タワーの塔頂部で死体となって発見されました」
 赤井はそこまで言い終えると、またレモネードを一口飲んだ。
「被害者の年齢は?」
「第一の事件の被害者である川口徹が三十四歳で、第二の事件の被害者である高橋祐介は二十一歳です」
「十三歳差か……」
 二人にどこかしらの接点があるのではとオレは考えたが、これだけの情報でそれを考慮するのはちょっと難しそうだ。
「二人に接点があったのかどうかはまだ解りませんが、それもどちらかと言えば警察の仕事ですね」
 赤井はレモンケーキやバターフィナンシェと同じぐらい柔らかそうに見える口でそう言った。お嬢様学校に通っているということは、おやつの時間にはそういうものしか食べてこなかったのだろう。ちなみにオレは、おやつの時間には大体スナック菓子かフルーツ味の飴を食べて育った。
「被害者の行動より、オレは犯人の行動の方が気になる。スカイツリーと、東京タワーのてっぺんでそれぞれ人を殺した、そのトリックと手法が気になる」オレは当然といえば当然のことを口にした。「スカイツリーに関しては知らないが、直近で東京タワーの大展望台を見て回ったことがあるオレからすれば、東京タワーでの犯行はほとんど無理と言って差し支えない。近くに東京タワーには隣接する建物はないし、東京タワーに匹敵するような質量を持つ建物もやはりないからな」
 オレがそこまで言うと、赤井は突然笑い出した。
「もしかして平見さん、犯行は別のビルの屋上から東京タワーの塔頂部までロープなりピアノ線なりハンガーなりを使って移動したとか、気球に乗ったとか、そんなことを考えていたんですか?」赤井は可愛い動物を見るような目でオレを見た。「だとしたら、犯人の正体は怪盗ということになりますね」
「それは『約束のネバーランド』へのアンチテーゼか」オレはティラミスをつついた。「それに、もし犯人が本当に怪盗だとしても、東京タワーのてっぺんなんかに用はないと思うけどな。名古屋城のシャチホコみたいに金目のものがあるとか、それとも東京タワーの避雷針そのものがとてつもない質量を持った巨大な純金でできているとか、そういうのがあるなら話は別だが」
「現代ファンタジーですね」赤井は視線を外した。怪盗と言い出したのはお前の方なのにそんなことが言えるのかと思ったが、黙っていた。「それに殺人犯だって、東京タワーのてっぺんに用はありませんよ。夜の公園とか、夜の高架下とか、夜の空き地とか、地上には人をひそかに殺せる場所が腐る程あるわけですし」
「全部夜じゃないか」
 そう言って、オレはティラミスを初めて口にした。それは控えめにいって、素人のくせに食レポがしたくなるほど素晴らしい出来栄えのものだったが、さすがにこの流れでそれをするわけにはいかないので自重した。
「いい着眼点です」
「東京タワーのてっぺんで人を殺すだなんて、『ミッション・インポッシブル』でもなかなかやらない芸当だと思うのだが」オレはヘリコプターに片腕だけでぶら下がっているハリウッド俳優をイメージした。「それで話を戻すが、事件の謎は解けたのか」
 赤井は和やかな微笑みを崩さずに、しかし確実に沈黙している。
「話は終わったようだな」オレはがっかりして、そのままの勢いで立ち上がった。「オレは帰る」
「あ、ちょっと待ってください」
「何だ」
「二人目の被害者、高橋祐介の死亡推定時刻ですが、午前六時から八時までの間だとされています」
 赤井はオレのティラミスにフォークを入れながら言った。あくまでもお嬢様女子高生探偵モードというわけだ。
「そうか」
「それともう一つ。第一の事件の被害者の川口徹も、第二の事件の被害者の高橋祐介も、死因は感電死です」
 感電死?
「まさか、事件当日のスカイツリーと東京タワーの両方にたまたま雷が落ちたとか、そういうことを言い出すんじゃないだろうな」
「まさか」赤井はおどろいたように言った。「凶器は見つかってませんが、改造したスタンガンか何かでしょうね」
「個人で武器の改造を行う事件には強烈な心当たりがあるが、やはり今は3Dプリンターさえあれば何でも作れるのか」
「どうでしょうね」赤井はティラミスを口に運んだ。「私は理科には疎いんです」
「どうしてナイフみたいな刃物じゃなくて、スタンガンなんだろうか」
 オレは疑問を口にした。
「おそらく、一瞬で殺せるからだと思います。刃物だと抵抗された時に面倒だし、死ぬまでに時間がかかる場合もありますからね。それに上空で人を刺すとなった時は、地上に血が飛び散るかもしれませんし」
 オレは赤黒くて血生臭い液体が、突然空から降り注いでくる様子をイメージしたが、本当に不気味と悪趣味以外の何物でもない。
「色々教えてくれて、どうもありがとう」
「こちらこそ」
 気分が悪くなったオレは、最後に氷の溶けたコーヒーを一気飲みしてから、一足先にカフェを後にした。
 赤井はこれから、レモンケーキとバターフィナンシェと、元はオレの分だったティラミスをゆっくりと平らげ、そのまま何食わぬ顔で家に帰るのだろう。まったくこいつはなんて気楽な奴なんだと思いながら、オレは背中で赤井の視線を感じていた。

  6

 そして例のごとく、スカイツリーに続いて東京タワーのてっぺんでも発生してしまった殺人事件は、マスコミの報道によってあっという間に……という表現がやや不透明だとすれば、たった数日で東京全土、いや日本全国をも巻き込む国民的事件として扱われた。
 デビッド・カッパーフィールドとマリー・セレスト号を知っているため、この程度のイベントでやはり騒ぐ気になれないオレは、それよりも職探しに必死になっていた。
 正直ここまでうまくいかないのは予想外で、華野が『おそらく、私も平見さんと同じような状況になるでしょう』と言っていたのを頻繁に思い出しては、華野も立石も、きっとオレと同じく苦労しているんだろうなとぼんやり考える日々が続いた。
 しかし、現実の問題として今進んでいる時間を止めることはできないし、そんなことを考えていても何の解決にもならない。事件から五日が経って、オレの新しい仕事が決まるよりも先に、東京タワーの全面封鎖が解除されることになった。
 そしてオレは、かつての職場でもある東京タワーに、なんとなく行ってみようと思った。なぜかはわからない。意思と命題が幅を利かせる小説じゃないんだから、行動原理をいちいち聞かれてもオレはこまってしまう。少なくとも、オレは二十三年もの間、そのスタンスで生きてきた。いまさら変えるというのは、ちょっと無理な話だ。それにもしかしたら、華野や立石も来ているかもしれない。
 昼すぎにオレは赤羽橋駅で電車を降り、長いエスカレーターを上がって、芝公園方面の通りを抜け、赤井と事件の話をしたオープンカフェの横を通過して、さらに『マリオンクレープ』の横を通過した。
 すると、いつも通りのカラフト犬があらわれる。事件後初の営業日ということもあり、東京タワーにはマスコミをふくめてかなりの数の人間が溢れていたが、その中でこのカラフト犬のことを考えている人間はおそらくオレしかいないだろう。
 オレはカラフト犬を数秒間凝視した後、首の角度を三十度ほど上げて、東京タワーの上部を食い入るように見つめる。
 鮮やかな赤と白。
 高さ三百三十三メートル、重さ約四千トンという、馬鹿馬鹿しいまでの質量をもつ、巨大な電波塔。
 とはいえ、第一の殺人はこれよりもっと高くて重い、東京スカイツリーの上で起きているのだ。
 オレは人間の想像力をフルにはたらかせて、東京スカイツリーのてっぺんを脳内に思い浮かべた。そして、そこに一人の男の死体を乗せた。それはうつ伏せの状態で、スカイツリーの先端、六百三十四メートルのてっぺんに、黒いベルト一本だけを支えにして乗っていた。
 あいかわらず、馬鹿げた話だ。
 犯人はユリ・ゲラーのような、凄腕の超能力者なのかもしれないと想像してみたが、だとしたらなぜ感電死なのだろう? いかに現実離れした犯人像を描こうとしても、感電死という死因がそれを阻害する。犯人は実は魔法使いで、雷属性の魔法でも使ったのかもしれないと考えたが、あまりに支離滅裂すぎたので、オレは思考をシャットアウトした。
 過密なエレベーターが嫌いなオレは、東京タワーの階段を一段飛ばしで上がると、見慣れたフットタウンのフロアに到着した。
 知らない人のために説明すると、このフットタウンというのは、東京タワーのアーチの部分にすっぽりと入っている建築物の総称だ。どこで知ったのかは忘れたが、フットタウンは昔は近代科学館と呼ばれており、科学分野にまつわる展示場などがあったらしいが、現在はレストランに土産物屋といった観光スポットの定番ともいえる施設に加え、『ギネス世界記録博物館』や『蝋人形館』という、ちょっと反応にこまるような施設も結構入っていた。要するに、展望台以外の東京タワーのすべてが集約されているのが、このフットタウンというわけだ。
 手始めに、オレのかつての職場があった場所を訪れてみたが、やはり跡形もなく解体されていた。そのかわりに、貼り紙のようなものが一枚あったのでそれを読んだ。
 どうやらこのコンビニがあった場所に、別のコンビニが入ることになっているらしい。じゃあなぜ潰したんだと思ったが、いずれにせよ、オレは資本を操れる立場にないので別にどうでもよかった。
 華野と最後に出会ったのもたしかこのあたりだと思いながら、オレは同フロアにあるフードコートへ向かった。とりあえず、どこかしらに座りたかったというのもあるし、何よりもオレの腹が、まだ昼飯を食べていないという事実を真剣に訴えてきたのだ。
 フードコートはとても広いスペースを有していたが、しかし今日の客入りは半端じゃなかった。平日の昼間だというのに、ほとんどの席が埋まっていた。おそらく、スカイツリーの時も似たようなことが起きたのだろう。殺人事件による悪趣味な好景気は、どうやら相当のものらしい。
 オレは食に関しては優柔不断なので、数分ほどレストランのあたりをうろうろしたのち、『富士そば』を昼食として採用することに決定した。普段のオレだったらマックに行っているところだが、さすがに人が並びすぎているのでやめた。
 オレは人生で初めて鴨そばを頼んでから席につき、なんとなく周囲を観察した。
 あいかわらず人の出入りが激しいが、見る限りでは知り合いと呼べそうな人間はひとりとしていない。みんな例の事件が気になっていて、東京タワーに来たのだろうか。こんなところに来たって事件はまったく進展しないというのに、それを心のどこかでわかった上で、やはり東京タワーに来てしまったのだろうか。オレは周囲を見回して、こいつらはとんだ暇人だと、自分を棚に上げてそう思った。
 五分ほどで鴨そばができあがった。振動する小さな端末と引き換えにオレは鴨そばを受け取り、ついでに七味唐辛子を振りかける。それから、いただきますも言わずに鴨そばをあっという間に平らげたところで、オレはとても腹が減っていたのだとようやく認識した。
 黒いトレイに乗った、汁の残っていない鴨そばの容器とを返却口に返して、オレは立ち上がった。腹の虫が落ち着き、オレはフットタウンを改めて探索しようと歩みを進めた。
 そして馬鹿を見つけた。
 その馬鹿はフットタウンの四階にある『感どうする経済館』という、本当にどうしようもない名前の施設にいた。内閣府と高名な作家が合同で企画したそこは、オレの感覚では東京タワーの施設の中で最も人気がなかった。オレも一回しか行ったことがないし、まさかこんな場所に二回も来ることになるとは、当時のオレには想像もできなかっただろう。現在の日本の国債や国内総生産などがリアルタイムで表示されたり、二億円と同じ重量のリュックサックが置かれていたり、一万円で具体的に何ができるのかを説明されても、人間はそれを面白いと思わないし、楽しいとも思わないので、当たり前のことといえば、それはかなり当たり前のことになる。
 そんな『感どうする経済館』にある、現金にして百億円を積み上げたのと同じ体積の直方体……通称百億ベンチで寝ているようなやつがいたら、そいつは間違いなく馬鹿だろう。
 そいつは、九月という季節を完璧に無視した薄緑色のトレンチコートを着て、安らかに寝息を立てていた。
「岡地さん、大変です馬鹿が寝てます」
 オレは近くにいた、床をモップがけしている顔見知りの職員に声をかけた。
「あら平見さん、こんにちは。あのコンビニがなくなってから、まさかまたお会いすることになるとは夢にも思っていなかったので、今の私はとてもびっくりしていますわ。うふふ」
 岡地は休み時間になると必ずコンビニにやってきて、おにぎりと飲み物を一つずつ買っていく、いわゆる常連客というやつだった。岡地は必要以上の笑顔に定評があり、華野とは正反対に、人を明るい気持ちにさせる力に溢れていた。
「こんな時に百億ベンチで寝てる、こいつは一体何ですか」
「まあ……誰かしら。全然気づかなかったわあ」
 岡地は笑顔だった。この状況でもニコニコ笑っているのを見ると、逆にこちらの気が滅入ってしまう。
「岡地さんが起こしてくださいよ」
「人がせっかく寝ているところをわざわざ起こしにいくなんて、私にはちょっと難しいですわね」
「おい、起きろ」
 担当職員がそういう感じなので、この空間で唯一まともな感性を持っているオレが動く以外になかった。
 馬鹿はオレよりも明らかに年上ではあったが、百億ベンチで寝るような馬鹿に敬語を使うほどオレは人格者ではない。
「うん……?」三回ほど身体を揺すったところで、馬鹿はようやく片目を開いた。「どちら様ですか?」
「オレがどちら様でも、あんたに注意する権利はある。ベンチは座る人のためのものだ」百億ベンチに人が座っているところを実際に見たことはただの一度としてないが。「それに、普段以上に警備員がうろうろしている中で、よくそんな目立つ行動を取れるものだな」
「目立つもなにも、僕はただ寝ていただけですが」
「それが目立つと言ってるんだ」
 馬鹿は片目をこすって、本当に言っている意味がわからないというような視線をオレに向けた。
「気配は消したつもりだったんですがね」馬鹿はオレと目を合わせる。瞳の奥が、少し濁っているように見えた。「つまり、初心者には勘付かれないように心がけていたんですがね。その証拠に、警察は僕に気づかずにあたりをうろうろしてるわけですから」
「警察は気づかなかったのかもしれないが、オレは気づいていた」
 オレは馬鹿から視線を外し、そう指摘した。
「へえ。きみはどうやら、特徴的な人生を歩んだ経験がありそうですね……」
「お前がな」
 オレが睨みつけて言うと、岡地が例の笑顔をオレに向けた。
「そうですか。ところで、きみはこれから暇ですか?」
「暇だ」
 こいつが何を企んでいるのかという疑念は一旦置いておくことにして、オレは素直に答えた。
「そうですか」馬鹿は立ち上がった。「じゃあ、ちょっと僕に付き合ってください」
「嫌だ」
 オレは即答した。
「僕はまだ昼ご飯を食べていないんですよ」
「知らない」
「千円未満なら、奢りますよ」
「それは本当か」
 節約の趣味を持つオレにとっては、馬鹿の提案はかなり魅力的なものだった。
「僕が嘘をつくように見えますか?」馬鹿はあくびをかみ殺したような表情を浮かべた。「僕は人生で一度も嘘をついたことがありません」
「そうか」
「じゃあ、さっさと行きましょう。あれ、フードコートってどこですか?」
「オレが案内する」
「まあ……。平見さん、新しいお友だちができたんですね」
 あいかわらず、例の笑顔を向けたままの岡地に挨拶をしてから、オレは馬鹿を連れて『感どうする経済館』を出た。
 そこから目と鼻の先とまでは言わないが、それでも近くにはあるフードコートに、オレは馬鹿を連れる形で戻ってきた。
 昼食がまだとのことで、オレもそうだと嘘をつき、馬鹿にビッグマックのセットを買わせた。気分的にはベーコンレタスバーガーだが、せっかく奢ってもらうのだから欲張らなければ損だ。
 そして馬鹿はフィレオフィッシュとコーラを頼み、それぞれ注文の品を受け取ってから、さっきオレが鴨そばを平らげたテーブルに、オレと馬鹿は向かい合って座った。
「それで、とりあえずお名前を聞かせてくれませんかね」 
「断る」
 オレは即答した。
「おや、どうしてですか?」
「お前が何者なのかを知らないからだ」
「じゃあ、僕から答えてあげましょう」馬鹿はトレンチコートの裾を直して、財布から何かを取り出した。「僕は松葉と言います。松葉直也」
「そうか」
 松葉はテーブルの上に運転免許証と保険証をそれぞれ置いた。それにしても、マツバとは聞き覚えのある名前だ。
「職業はフリーライター、そして探偵です」
「探偵?」
 オレはおどろいて言った。苗字とはいえ、マツバという名前で探偵だと? これはもしかしなくともデジャヴ、というやつじゃないか。
「ええ。探偵です」
 松葉はオレをまっすぐに見た。赤井とは違い、凛としたまぶしい視線は感じないが、そのかわり何かどろっとした、とろみのある存在感を放っている。
「名刺はあるのか」
「ありますが、探偵としての名刺はありません。あくまでも、僕の本業はフリーライターなのでね」
 そう言うと、松葉は名刺をオレに渡した。名刺には『松葉直也 フリーライター』と書かれ、その下に小さくメールアドレスと電話番号が添えられていた。
「とりあえず、お前のプロフィールはなんとなく解った」
 これだけの情報で、松葉の探偵というプロフィールを信じてやるには疑問が残るが、とりあえず運転免許証と保険証は本物らしいので、とりあえず目の前の馬鹿が松葉直也だということについては信用した。
「では、きみのことを教えてください」
「面倒くさいな」オレは率直な意見を述べた。「オレは平見敦。二十三歳。つい最近まで、ここ東京タワーのコンビニで働いていたが、今は無職だ」
「そうですか」
 松葉の言葉はそれだけだった。一気に喋ったオレに対して、わざとらしく苦笑したような表情を浮かべたが、動作らしい動作はやはりそれだけ。
「どうぞ、食べてください」
 松葉はそう言うと、フィレオフィッシュを頬張った。オレもいただきますを言って、ビッグマックの包みを開いた。
「や、これはうまい。ひさしぶりにこう、ジャンクフードを食べると、やたらうまい」
 オレの目の前でフィレオフィッシュを一心に食べているこの男は、一体何なのだろう。発言と身分証と名刺を信じる限りでは、松葉直也は三十四歳で職業はフリーライター兼探偵。免許証にもあったが、松葉の髪型はかなり癖が強く、野暮ったさを前面に押し出したような感じ。服装は薄緑色のトレンチコートで、その髪型や無精髭とそれなりにマッチしている。あまりにもテレビ的だ。あまりにもコスプレ的だ。こんなにも目立ちそうな格好で、果たして探偵業などまともに務まるのだろうか。胡散臭いにもほどがあるし、ちょっと背が高いのも悪目立ちする要因になり得るだろう。
 ただそんなことばかりを考えていても仕方がないので、とりあえずオレは松葉がそうしているように、ビッグマックを頬張った。
「そういえば、平見くんは東京タワーで働いていたんですよね?」
 そんな胡散臭い松葉が質問してきた。
「東京タワーというか、東京タワーのコンビニだが」
「そこは別にどうでもいいです」松葉はコーラを飲んだ。「平見くんはなぜ、失職したのにも関わらずこんな場所にいるんです?」
 正当な質問だった。
「なんとなくだ」
「なんとなく、ですか?」
「そうだ」
 オレはどこまでも正直に答えた。
「いくら何でも、怪しいとは思いませんか?」
「お前に言われたくない」
「犯人は現場に戻るってよく言いますし」
「オレは犯人じゃない」
 オレはビッグマックと烏龍茶を交互に口に運んだ。
「へえ……そうですか」松葉はオレのポテトを盗んだ。「ということは、平見くんは今回の事件とは無関係というわけですか?」
「どの事件にも無関係だ」
「この事件に興味は?」
「ない」
 とは言ったものの、やはり犯人がどういうトリックで上空で殺人事件を起こしたのか、というところは気になる。これはオレだけの感覚ではないはずだ。
「自分の職場で、東京タワーのてっぺんで殺人事件が起きたというのに、平見くんはまったく興味がないと?」
「オレの職場は上空三百三十三メートルにはないし、オレの仕事は探偵じゃない。というか、職もない」
「つまり、この事件を解決するのは僕の仕事であって、自分の仕事ではないと、そう言いたいわけですね?」
「そう言いたいも何も、その通りだろ」
「まあそうですね」松葉はいつの間にかフィレオフィッシュを半分以上食べている。「完全に、僕の仕事です」
「お前が本当に探偵なら、推理や仮説の一つや二つぐらい立ててほしいものだが」
「平見くんはやたらと探偵を過大評価していますね」オレはまたポテトを盗まれた。「探偵を信頼する時代は終わりましたよ。なんせ、最近は伏線とかいろいろありますからね。最近では、探偵が真犯人なんてオチもあるみたいですし」
 松葉は最悪なことを言った。
「そんなことはひとまず置いておいて、今回の事件についての、お前の仮説を聞かせろ」
「や、仮説も何も、ルートは六つしかありませんからね」
「ルート?」
「東京タワーのてっぺんまでのルートです」松葉はポテトを五本まとめて盗んだ。「まずは東京タワーの外。世間で面白がって言われている、飛行機から墜落した人間が偶然スカイツリーや東京タワーのてっぺんに引っかかってしまった、という仮説もこれに該当します」
「ほう」
「それから二つの一般出入り口、大展望台、特別展望台、それから大展望台直通階段。犯人はその中のどれかを使い、てっぺんまで移動したわけですね。ちょっと考えれば誰でもわかるようなことではありますが、これが一応の僕の仮説です」
「なるほどな」
 松葉の仮説は確かにその通りで、スカイツリーや東京タワーに飛び移るか飛び降りるか、あるいはよじ登るかして塔頂部に到達するか、一般出入り口のどちらかから入り、何かしらの方法で塔頂部に到達するか、エレベーターに乗り、地上から約百五十メートルの高さにある大展望台へ行き、何かしらの方法で塔頂部に到達するか、大展望台からさらにエレベーターに乗って地上から約二百五十メートルの高さにある特別展望台まで行き、何かしらの方法で塔頂部に到達するか、フットタウンの屋上にある大展望台直通階段で大展望台まで行き、そして何かしらの方法で塔頂部に到達するかのどれかしかない。
 しかし、それ以上のことがわからなければ、スカイツリーの事件も、ここ東京タワーの事件も、何一つ解決しない。つまり、トリックを完全に看破したわけではない。そういう意味では、松葉も赤井と同じく、事件解決に手こずっているというわけだ。
「いずれにせよ、犯人と被害者がどうやってスカイツリーや東京タワーのてっぺんに移動したのかがわからなければ、事件は解決しないんだろう。つまりお前は、まだ何も掴めていないということだな」
 オレはわざと悪意のある物言いをした。しかし松葉は意に介せずといった様子で、ついにフィレオフィッシュを平らげてしまった。
「だってそうじゃないですか。地上で起きる殺人事件とは違って、上空何百メートルという場所で起きた殺人事件には、目撃者がほとんどいません」松葉はフィレオフィッシュの包み紙をくしゃくしゃに丸めた。「情報の信憑性のレベルで言えば、どこかの都市伝説といい勝負ですね。事件を事件として捜査するには、もっと詳しい情報が必要になってきます」
「それは負け惜しみか」
「いいえ、ただの事実ですよ」松葉は今の今まで出しっ放しになっていた、自分の免許証と保険証を財布にしまった。「では」
 ビッグマックで腹八分目を迎えたオレをよそに、松葉は残りのコーラを一気に飲み干してから立ち上がり、颯爽…という表現が大げさだとするならば、平均よりは素早い程度の動作で背を向け、トレンチコートを揺らしながら立ち去った。それがあまりにも突然すぎたためにオレは何も言えず、姿勢の悪い松葉の後ろ姿を見送ることしかできなかった。

  7

 それから三日後、ちょうど風呂場の掃除を終えたオレの携帯に知らない番号から着信があった。
「もしもし」オレは人見知りしないことで有名なので、すぐさま通話ボタンを押した。「どなたですか」
「僕です、松葉です。松葉直也」
「お前に電話番号を教えたつもりはないのだが」
 当然のごとくオレは警戒した。探偵という職業とはいえ、松葉はどこでオレの電話番号を知ったのだろう。
「僕は平見くんに電話番号を教えましたが」
「オレは教えてない」
「そうですか?」
 松葉はとぼけた。
「お前が何と言おうと、オレからの非難は避けられないぞ」
「きみの情報なんて、二十四時間もあればすぐに解りますよ」松葉の口調には、オレに対して挑むような意図がふくまれていた。「簡単でした」
「ボブ・ディランも『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』を一日でレコーディングしたというからな」オレは軽口を叩いた。「本当に、どうやってオレの電話番号を知ったんだ」
「平見くんは、守秘義務というものをご存じですか?」
 松葉は半笑いだった。
「正式に、お前の会社宛てに苦情を申し立ててやってもいいんだぞ」
「まあまあ。それにこうやって連絡したのは、事件解決の糸口が見えたからなんですよ」
「解決?」
 オレはおどろいて言った。
「ええそうです。スカイツリーのてっぺんで、東京タワーのてっぺんで人を殺す、そのトリックがついに解ったんです」
「そうか、それはご苦労。だが、そんなことをいちいちオレに報告する必要はない」
「や、なぜです?」
「オレの人生とは何の関係もないからだ」
「妙ですね。僕の記憶では、平見くんはワトソン役を志願したことになっているのですが」
「捏造はやめろ」オレは声を落とした。「もし本気でそう思ってるんだとしたら、お前は記憶力が悪すぎる」
「平見くんは、事件の真相が気にならないんですか?」
 松葉は挑むような口調だった。
 正直、気になる。
 オレの人生に関係ないとは言え、高さ六百三十四メートルで殺人事件が起きるなんて、普通では考えられないことだ。
「気になる」
 オレは正直な意見を口にした。
「平見くんには特別に、今回の事件のトリックを教えてあげますよ」
「なんだと?」オレは訝しんだ。「どういうことだ」
「そのままです。僕はホームズとして、事件の真相を完璧に見抜いたので、それをワトソン君に教えてあげようと思っただけですよ」
 松葉は平然とした口調で答えた。
「オレは助手じゃない」オレは訂正した。「それで、犯人は一体どんなトリックを使ったんだ?」
 オレは松葉の探偵力を見直しながら尋ねた。
「それがですね、これを口頭で伝えるにはなかなか勿体ないので、どうです。東京タワーで待ち合わせしませんか」
「解った」
「午後の一時ごろが望ましいのですが」
「場所を言え」
「では、四階のゲームセンターで」
 そう言うと、松葉は一方的に電話を切った。
 松葉がどこでどうやってオレの個人情報を知ったのかは気になったが、結局のところ好奇心には勝てず、なのでオレは松葉の思惑通り、解決編の舞台となるであろう東京タワーへ行くための準備をはじめた。

  8

 エレベーターでフットタウン四階に上がると、予想通りゲームセンターに松葉の姿があった。
 そして、松葉はひとりでエアホッケーをやっていた。誰もいない相手のゴールにパックを打ち込んでいるその様子は、まるで馬鹿そのものだった。
「おい探偵、何してるんだ」
 オレは馬鹿な探偵に質問した。
「や、平見くんですね」
 松葉はなおもパックを打ち込み、スコア上では記録的な高得点を叩き出したところでようやくオレの方に向き直った。
 あいかわらずのトレンチコートが暑そうだが、今日は薄緑色ではなくベージュだった。
「さっそく本題に入りたいのだが」
「お、いいですねそういう見境のない感じ。平見くんにそういう一面があったとは知りませんでした」
「オレの電話番号をどうやって知った」
「とある筋に、お金を払って調べてもらいました」
「探偵だったら自分で調べろ」オレはあきれて言った。「まあ、それはそれでいい。例の事件のトリック、解ったんだろ」
「ええ」松葉は簡単に言った。「解りました」
「教えてくれ」
「その前に」
 松葉は拳銃を取り出した。
 何の前触れも、何の予兆もなく、拳銃を取り出して銃口をオレに向けた。
 オレはすばやく松葉の腕に手を伸ばし、拳銃を握っている腕をぐるんと回して松葉を投げ飛ばす……というテクニックはあいにく持ち合わせていないので、素直に周囲を見渡して状況を確認した。
 まず、拳銃が本物かどうかは不明。モデルガンである可能性にすべてを賭けて、松葉を全力で殴りつけてやることもできるが、失敗時のリスクが大きすぎるためいったん保留。
 そして東京タワーの好景気が落ち着きはじめたためか、ゲームセンターにはオレと松葉以外の人間は誰一人として見当たらない。
 まずいことになったと、オレはその場でようやく理解した。
「お前は何者なんだ」
 オレは転んでもただでは起きない精神をアピールして質問した。
「平見くん。きみは、赤井茉庭と接点がありますね」
「あ?」
 オレは素直におどろいた。松葉の口から、赤井という単語が出てくるとは思わなかった。
 そうすると、こいつは赤井に何らかの恨みを持っている人間か。いやしかし、年齢も性別も身長も格好も、ひとつとして類似していない。同じなのは、探偵という職業だけ。ということは、何かそういう仕事関連でのトラブルがあったのだろうかと推測できるが、それにしたっていきなり拳銃を持ち出すとは、普通じゃありえないことだ。
「きみは、赤井茉庭についてどこまで知っていますか」
「数回会った程度だ。お嬢様学校に通う女子高生で、さらにその上探偵で、顧客ファーストだってこと以外、ほとんど何も知らない」
「ふうん。そうですか」
 松葉は余裕の微笑を浮かべていた。それはオレの嫌いな笑顔だ。
「それは本物の拳銃か」
「本物ですよ」聞いておいてなんだが、知りたくない情報だった。「試してみます?」
「結構だ」
「や、これはこれは。残念です」
 松葉はちっとも残念ではなさそうな表情をしていて、それが余計にオレをイラつかせた。
「それで、武装探偵のお前はオレをどうするつもりだ」
「脅迫するつもりです」やはり知りたくない情報だった。「平見くんは『感どうする経済館』には行きましたか?」
 ……そういうことか。
 オレは拳を強く握りしめた。
「お前、岡地さんに何をした」
 オレは来たるべき瞬間に備え、松葉の手元を仔細に観察しながら質問した。
「や、少し落ち着いてください」
「落ち着けるわけないだろ」
 オレは脇を閉めた。
 松葉はあいかわらずオレに拳銃を向けているが、二つの拳があれば何でもできるとオレは信じている。なので、いざという時のためにオレはしっかりと拳を握りしめた。
「現在、『感どうする経済館』には、僕が金で雇った男がいます。僕からの連絡があり次第、彼にはちょっとした行動をとってもらう手はずになっています」
「それよりも先にお前が死ぬ可能性については考えたか?」
「まさか」松葉は力なく笑った。嫌な笑顔だった。「連絡なんてすぐできますよ」
 松葉は左手をトレンチコートのポケットに入れた。
 おそらくそこにはスイッチか何かが入っているのだろう。それを察知したオレは、握りしめた拳を仕方なく緩めるしかなかった。
「いやあ、良かったです」松葉は本気で安堵したような表情で息を吐いた。「これは賭けでした。きみが他人の生命を大切にしない人間である可能性もあったわけですからね」
「オレにも『ニュー・シネマ・パラダイス』を見て感動するくらいの優しさはある」脇だけは閉めず、オレは牽制球を投げた。「それに、拳銃を持ってるくせに、ずいぶんと弱気なんだな」
「僕だって、人を殺したくはありませんよ」
 松葉はニタニタと気持ち悪い表情を浮かべている。オレはごく自然に殺意を想起するが、松葉の右手にしっかりと握られた拳銃がそれを邪魔する。
「それで、お前は何が望みだ」
「その前に、二人で落ちついて話ができる場所が欲しいですね」松葉は生意気なことを言い始めた。「正直、ここではうるさすぎますし、何よりここはゲームセンターです。いつ人が来てもおかしくない」
「外に出るのか」オレは状況の好転と、状況の停滞の両方を感じながら松葉を睨んだ。「フットタウン四階は、東京タワーの中で一番寂れたフロアだ」
「ふむ。では『感どうする経済館』に行きましょうか」
「断る」オレは即答した。「岡地さんをさらに危険な目に合わせるわけにはいかない」
「や、これはおどろきましたね……」松葉は本当におどろいたような表情をしていた。「平見くんがそんな主人公のようなことを言うなんて、僕には想像できませんでした。まさに『感どう』ですね。そんな平見くんの男気に免じて、『感どうする経済館』を選択肢から外してあげましょう」
「当然のことだ」オレはわずかに調子に乗りながらも、警戒は怠らない。「いい場所がある。教えてやってもいいが、その代わり……」
「その代わり?」
「入場料を払え」
 オレは松葉と一緒にゲームセンターを出た。
 途中、『感どうする経済館』の横を通ると、フロア内をせっせとモップがけしている岡地と、それとなくその近くをウロウロしている黒いパーカーの男がいるのを見つけた。そいつが松葉とアイコンタクトをしたのをオレは見逃さなかったので、オレは岡地に声をかけることなく階段を降り、三階にある『ギネス世界記録博物館』までやってきた。
 そしてここは、その名の通りギネスに認定された世界中の記録を、パネルやフィギュアで紹介するところなのだが、なぜ東京タワーの中にそんな施設を作ったのか、オレにはまったくわからない。
 わからないことはわからないままにして、松葉に二人分の入場料を払わせ、オレと松葉は中に入った。
 さながらクリーチャーのような風貌やアンデッドのような体型のギネス記録保持者たちの等身大フィギュアが置かれた施設の内部には誰一人としていなかったし、人の気配はまるでなかった。
 純粋な観光客ならともかく、野次馬たちが気を引かれているのはあくまで殺人事件であり、東京のランドマークのてっぺんであり、こうしたイベントスペースではない。
 オレたちはお互いの距離感を牽制しながら館内を進んでいると、興味を示すものでもあったのか、松葉の足が不意に止まったので、それに連動するようにオレも足を止めた。このまま無視して進んだら撃たれるかもしれないと思ったのだ。
 松葉の視線は『最長落下したエレベーターの生存者』という見出しの書かれたパネルに注がれていた。内容をオレなりに要約すると、その男は地上から約百二十メートルの高さからいきなり落下したが、多少のケガで済んだとのこと。だが、三百三十三メートルの東京タワーや、六百三十四メートルの東京スカイツリーには到底およばない。
 松葉はふたたび順路を進み、それに合わせてオレも黙ってそれに従った。脈絡なく置かれた赤いパンチングマシーンを通過して、出口付近にある小さいシアターホールまでやってきた。時間外なのか、機械が故障しているのか、それとも単にやる気がないのかは知らないが、そのミニシアターのスクリーンには何も映っていなかった。
 そして、当たり前のように誰もいない。
 とうとう、ここまで来たなと思った。
 もうそろそろ、決着がつく。
 オレと松葉は赤いカーテンの奥にある暗い空間に足を踏み入れた。
「平見くんの言う通り、ここには誰もいませんでしたね」
 ようやく松葉が口を開いた。こいつはとんでもない野郎だと改めて思ったが、とりあえずオレは黙っていた。
 松葉は闇と重なりつつあるトレンチコートを揺らせて、等間隔に配置された椅子に腰掛けたが、オレの用心と警戒が本能的な危険を察知したため、オレは松葉とは二つほど間を置いてからベンチに座った。
「僕の隣に座らないんですか?」
 松葉が尋ねた。暗くて顔がよく見えないが、おそらく例の最悪な表情を浮かべているのだろう。
「座らない」オレは断言した。松葉の拳銃が今どのあたりの位置にあるのかは暗くてよく解らないが、今すぐ飛びかかる分にはおそらくオレのほうが有利だ。「それで、何が望みだ」
「難しいことはありません。赤井茉庭を始末します」
「それだけのためにオレを脅したのか?」オレは声に力を込めた。「どうやら、お前は探偵の道を踏み外しているようだ」
「命の賭けどころを間違えないほうがいいですよ」
「さっきも言ったが、オレは赤井のことを詳しく知らない」事実だった。「他をあたりな」
 松葉の静かなため息が、暗がりの中で確かに聞こえた。
「平見くん。きみには、赤井茉庭をおびき寄せる囮になってほしいと、僕は思っています」
「お断りだ」
 オレは即答した。
 誰かのために生きるなんて、その生き方を強制されるなんて……オレにはできない。オレには向いていない。
「まさか、拒否権を行使するつもりですか?」
「前向きに検討している」
 オレはごくごくわずかに岡地を庇った。
「きみには二つの選択肢があります」松葉の眉間にシワが寄る。「一、僕に協力する。二、ここで死ぬ」
「シンプルなもんだな。白洲次郎の遺書といい勝負だ」
 オレは松葉に対する敵意を遠回しに表明するために軽口を叩いた。
「僕は……遊びでやってるんじゃないんですよ」松葉はトレンチコートのポケットに左手を突っ込んだ。それはまずい。「赤井茉庭は、始末しないといけない存在なんです」
「どうしてだ」
「それを話せば僕に協力してくれますか?」
「交換条件をつけるのは素人の証拠だ」オレは正論を言った。「オレがお前に話すことなんてない」
「ありますよ、あるんですよ、大ありなんですよ、あるんだよ、おい。赤井茉庭のすべてを、今すぐ僕に話せ。東京スカイツリーや東京タワーで起きた不可解な殺人事件なんて今すぐ忘れて、赤井茉庭のあらゆるすべてを僕に教えてください」
 松葉は笑っていた。
 松葉は怒っていた。
 退屈そうに笑っていた。
 不快そうに怒っていた。
 オレ自身がそうであるように、松葉もまた、スカイツリーや東京タワーを騒がせている一連の殺人事件にそこまでの興味はないのだろう。三流作家が二日で考えて十日で書いたようなストーリーだ。そんなものよりも、赤井みたいな異常な人間のストーリーを見ている方が楽しいという意見は、オレにも解る。
 ただ、オレはそのうえで否定する。オレは否定しなければならない。
 どれだけ異常な人間であろうが何だろうが、それが人を殺して良い理由にはならない。だからオレは、松葉を否定する。
「スカイツリーで起きた事件も、東京タワーで起きた事件も、赤井の過去も、オレにとっては同じようなものだ」
 オレはそう宣言した。
「平見くん。きみは、そんなにもつまらない人間だったんですね」松葉は口もとを歪めた。「やっぱりクソですね。平見くんも、赤井茉庭も」
「クソじゃないものを探せ」
 オレは真っ当なことを言った。そしてそれは、まっすぐな事実だった。
 松葉がなぜ赤井に執着するのかは解らない。
 赤井に恋人を殺されたのかもしれないし、親を殺されたのかもしれないし、仕事の邪魔をされたのかもしれないし、金を騙し取られたのかもしれないし、あるいは無条件に赤井を狙っているだけなのかもしれないが、それでもオレは、クソなもののために時間を使うわけにはいかないし、クソなもののために時間を使うようなやつに負けるわけにはいかない。
「見透かすようなことを言いますね……ガキのくせに」
 松葉は酷く苛立っている様子だった。やはり表情は暗くてよく見えないが、まともな人間の表情をしていないことだけはわかる。
「クソなものに振り回されて、クソなものに人生をコントロールされているお前ごときに、オレがガキ呼ばわりされる筋合いはない」
「そうですか」松葉の声が一オクターブぐらい低くなる。「こっちはお前の友だちと拳銃を利用してまで、赤井茉庭の話を聞かせてほしいって頼んでるのに、どうしてそれもできないのかな。馬鹿にしてる?」
 松葉は暗闇の中から、オレに拳銃を向けた。
「お前は馬鹿だ」
「ふざけてるな」松葉は長く重いため息を挟んだ。「ふざけてるだろ! 探偵が、探偵なんてものがあるから、だから俺は……」
「だから、あんなことをしたわけですか?」
 背後から声が響いた。
 オレたちはほとんど同時に振り返る。
 ミニシアターの入口に、小さな体と、セーラー服。
 赤井。
 松葉が獣のような声をあげ、咄嗟に拳銃を引き抜いて発砲したのと、オレが松葉のボディにエルボーを入れ込んだのも、ほとんど同じタイミングだった。
 オレの奇襲を無抵抗に食らった松葉は派手にバランスを崩し、放たれた銃弾はミニシアターの天井に向かって真っすぐに飛んでいった。オレはすぐさま両手で松葉の左手を押さえて、岡地の安全を確保した。
 そして、それにキレた松葉がオレの顔を狙撃しようとした瞬間に、駆け寄ってきた赤井が松葉の右手から拳銃を奪った。
「……うぁああぁあぁあ! おい! ふざけんなよ!」
「静かにしてください」
 拳銃を奪われて、狂ったように暴れ出した松葉を、赤井が奪った拳銃で制した。こんなにも分かりやすい銃刀法違反はそうそうないが、オレは空気を読んで黙っていた。
「お待たせしました、平見さん」
「どうしてお前がここにいる」
「岡地さんから、エマージェンシーコールがありました」
 オレはおどろいた。赤井と岡地は……知り合いだったのか。
「岡地さんは無事なんだな」
「ええ、無事ですよ。なんとか、万事うまくいきました。さて、ではここからが本番ですね」赤井は拳銃を握り直した。「それでは、解決編を始めましょう」
「は?」
 オレはつい、素っ頓狂な声を上げてしまった。いろいろと解決していない疑問がまだあるのに、なんの解決編なのだろうか。
「松葉直也さん、月並みな台詞ですが、犯人はあなたです」
「犯人だって? そりゃそうだろ、こいつのやろうとしたことは殺人未遂だ。見たら解る。何を言ってるんだ」
「平見さんこそ、何を言ってるんですか」
 赤井は光の中で、頼むから空気を読んでくれというような表情をしていたが、オレは本当に赤井の言っていることがわからなかった。
「どういう意味だ」
「それでは、平見さんにもわかるよう説明しますね」赤井は一歩前に出てミニシアターに入ってきた。「東京スカイツリーと東京タワー、二つの塔のてっぺんで起きた連続殺人事件の犯人は、松葉直也さん、あなたです」
「お前、何を言ってるんだ。こいつの職業は探偵だぞ」
 何を言い出すかと思ったら、よりにもよって武装探偵の松葉が、東京を騒がせたあの殺人犯?
 オレは到底信じられなかったが、赤井のきょとんとした表情を見て、オレはいろいろなことを瞬時に察してしまい、全身の血の気が引いた。
「松葉直也は、警備会社の社員ですよ」
「警備会社?」オレはオウム返しをしてしまった。「だって、オレはこいつから名刺を……」
「もう一度言います。松葉直也は、東京スカイツリーと東京タワーの警備を受注している、警備会社の社員です」赤井はまさかの事実を宣告した。「そんな彼の最近のトピックは、川口徹と高橋祐介をそれぞれスカイツリーと東京タワーから降ろしたことです」
 そうだったのか。
「どうしてお前がそんなことを知ってるんだよ」
「こんなもの、調べたら解る程度のことです。調べない平見さんが悪いんですよ。この程度じゃあ、まだ私の助手は務まりませんね」
 はっきりと言われた。
 とりつく島もないというやつだ。
 そして松葉は微動だにしない。悔しさのあまり動けないのだろうか。それとも動かないのだろうか。
「お前の助手になるつもりはない」オレはふたたび、転んでもただでは起きない精神を無駄にアピールした。「つまり、どういうことだ」
「二つの事件の被害者の死因が、どちらも感電死というのが気になりました」赤井は置物のようになってしまった松葉にかまうことなく、言葉を続ける。「刺殺でも絞殺でもなく、なぜ感電なのでしょうか。刃物と違って返り血を浴びないとか、ロープなどと違って強い力がなくても殺せるとか、まあメリットはいろいろありますが、しかし今回の事件の場合、その最大のメリットは被害者を一瞬で殺せることです」
 赤井は『一瞬』という言葉にアクセントを込めた。
「つまり、犯人は速度に特化させた殺害方法を選んだわけか」
「そうです。ではなぜ、犯人は被害者を一瞬で殺さなければいけなかったのでしょうか。これまた、考えられる理由はいろいろとあるわけですが、その最大の理由は、犯行のチャンスが極端に少なかったからだと、私はそう考えました」
「どういう意味だ」
「もう少し待ってください。これから説明します」赤井はオレの言葉を流した。「話を戻しましょう。私が死因の次に気になったのは、被害者の死亡推定時刻です。川口徹の死亡推定時刻は、事件当日の八月十八日の午前九時から午後一時の間。高橋祐介は事件当日の八月三十一日の午前六時から午前八時の間。そしてこれは、死体が地上に降ろされた時間と近いですよね。何が言いたいのかと言うと、二人の被害者は、どちらも大して時間のない間に殺されたのだと仮定できる、と言うことです」
「そうだな」
「するとこの事件の犯人は、被害者と接触する時間がほとんどなく、かつ被害者を殺害するチャンスが極めて少ないという二つの条件を持った者となります。ここまで来れば簡単な話ですよね。そのような状況に一番近く、さらに被害者と接触することができる人間、つまり被害者を地上に降ろす作業をしていた、松葉直也が犯人なのではないかと、まあ消去法ではありますが、そう考えたわけです」
「なるほど」
 正しい妄想だと思った。
 辻褄は合っているし、それに警備会社の人間が犯人なのではないかという考えは、オレの中にも少しだけあった。
 まあ、その正体がこいつだとは想像もしなかったわけだが。
「ちょっと考えれば、オレにも解ることだったんだな」
「そうですよ」
 拳銃を握った赤井はわざとらしく肩をすぼめた。
「あ、赤井茉庭……いや、なぜきみたちは、二人の被害者がスカイツリーや東京タワーに登ったという発想を、そう簡単に持てたんですか?」
 ここで、ようやく犯人の松葉が口を開いた。
「ほかに方法がないからです」
「スカイツリーや、東京タワーのてっぺんで犯人に殺されるには、あるいは、それらのてっぺんで人を殺すには、とてつもない労力と気力が必要だ。そんなことをするやつなら、三百三十三メートルでも、六百三十四メートルでも、自力で登ってしまうだろうと考えたわけだ」オレは赤井の推理を自分なりに解釈し、補足した。「とにかく、塔のてっぺんまで何とかして登れば、奇想天外で摩訶不思議な殺人事件を演出することができる。だったらやるだろう。人間とはそういう生物だ」
 オレが喋り終えたところで、赤井の背後から岡地が現れた。
 岡地のニコニコ笑顔を見て、ようやくオレは安堵した。
「まあ平見さん、こんにちは」岡地の笑顔はいつも通りだった。「平見さんが私のために頑張ってくれるなんて……私、とっても嬉しいんですよ」
 岡地は、まるで歌うように感謝を口にした。それに赤井が小さく頷いている。
「岡地さん」
「や、これもまた予想外ですね」松葉は観念したような表情になった。「きみたちは、やっぱり異常ですね」
 そして、松葉は笑った。
 苦笑していた。
 岡地とは違う、異質な笑顔。
「オレたち?」オレは赤井を見つめた。赤井もオレを見ていた。「人間なんて、全員普通に異常だろうが」

  9

 事件解決から約一ヶ月後の、十月十五日。
 オレはひさしぶりに東京タワーにやってきていた。十五頭のカラフト犬に会いたくなったとか、『マリオンクレープ』のクレープを食べたくなったとか、とにかくそういう理由を適当に作り上げてから大江戸線に乗り込み、長いエレベーターを上がって、『マリオンクレープ』の横を通過し、カラフト犬の前に立つと、あらためて感慨深いというか、なにか言葉に表しがたいような実感を得たような気がした。
「あ、平見さん」
 不意に背後から声をかけられたので、オレは振り返った。
 そしてそこには、赤井がいた。
 予想通りでも、予想外でもなかったという感じだが、赤井の服装はいつも通りのセーラー服だった。首には青いマフラーが巻かれていて、これでアディダスのスニーカーでも履いていたら、完璧に中学生だ。
「赤井」
「月並みな台詞ですが、おひさしぶりです」
 赤井は恭しく頭を下げた。
「やっぱり、お前は少年探偵団だったんだな」
「私は『名探偵コナン』ではありません」赤井は頬をふくらませた。「松葉直也が探偵だと、平見さんが簡単に信じてしまったのが私的にはかなりがっかりポイントなのですが」
「言っておくけど、松葉直也よりもお前のほうが現実離れしてるぞ」
「褒め言葉と受け取っておきます」
「しかしなあ、まさか女子高生探偵ってのが実在するとは夢にも思わなかった」オレは探偵としての赤井を認めていた。「もし風見慎吾がお前と出会ったら、おどろきすぎて気絶するんじゃないのか」
「かざみしんご?」
「通じないならいい」
 最近の女子高生はものを知らないようだ。
「私は風見章子しか知りません」
「今どきの女子高生というのは恐怖だな。会話のかみ合わなさが今世紀最大だが」
「もしかしたら、女子高生じゃないかもしれませんよ」
「じゃあ女子中学生か」
「どういうことです」赤井は眉をひそめた。「私の身長を揶揄する人は許せません」
「世の中が、敵だらけになるぞ」
「そんなことを言いに来たんですか」
 赤井はあきれたように言った。
「事件について聞きに来たんだ」オレは嘘をついた。「事件の顛末」
「顛末? 興味あるんですか?」
「まあな」
「では、私が知っていることを話します」赤井はそう言うと、例の瞳でオレを見つめた。「結論から言えば、松葉直也はすべてを自供しました。動機は『ストーリーのない夜の中が退屈だったから』だそうです。川口徹と高橋祐介がその誘いに乗ったのも、同じ理由らしいです。事件前日の二人の不可解な行動は、どうやら事前に打ち合わせたブラフだったようですね」
「そうなのか」
「まあ、それだけのために浜松町駅までタクシーで乗ったり、失踪を装ったりしてから東京タワーを自力で登って、さらに一晩を塔頂部で過ごして、松葉直也に殺されるのを待っていたというのですから、なかなかぶっ飛んだ話ですよね」
「そのことなんだが」
「はい」
「やはり、スカイツリーの六百三十四メートルというのは、あまりにも高すぎると思うんだ」オレは輪郭のぼやけた疑問を口にした。「三十代の男が、スカイツリーのてっぺんまで登るなんて、さすがにありえない話だとは思わないか? 東京タワーはその半分の高さだし、被害者だってまだ二十歳そこそこだろう」
「結論をどうぞ」
「犯人が松葉なのは間違いないし、被害者二人と共犯なのも間違いないだろうが、その真相は違うんじゃないのか? 要するに、二人目の殺人のトリックは一人目の殺人のトリックには応用できない」オレは赤井に視線を合わせた。「そしてお前は、それを知っているんじゃないのか?」
「松葉は自供しています」
「犯人が逮捕されたときが、事件の終わりじゃない。松葉は起訴されて、これから裁判が始まるだろうよ。それで、ことを有利に進めるために虚言を通しているのかもしれないだろう」
 オレは用意していた言葉をすべて吐き出した。
 赤井はそれには答えず、オレから視線を外し、そして東京タワーを見上げた。
「探偵には、二種類の仕事があります」赤井は慎重に言った。「一つは、事件から謎そのものを取り除く仕事。これは王道です。そしてもう一つは、事件そのものを取り除く仕事。私が今回依頼されたのは、後者です」
「どういうことだ」
「東京タワーを見てください」
 オレは赤井に言われた通り、東京タワーを見上げる。
 赤と白の塔。
 鉄の骨の集合体。
 その周りには警察も、マスコミも、野次馬も見当たらない。
 東京タワーは、かつての時間を取り戻していた。
「事件の犯人と、その殺害の手法が発覚した今、東京タワーとスカイツリーにかかっていた魔法は消えたのです」オレと同じく、東京タワーを見上げる赤井はわざと大げさな言い方をした。「月並みな台詞ですが、事件は解決したのです。それなのに、わざわざ別の真相を表向きにする必要はありません」
「お前……」オレはつい、義憤に駆られた。「やはり、真相を知ってるんだな」
「真実より、作り上げられたストーリーのほうが大切なこともあります」
「詭弁だ」
「ならば、もう少し細かい言い方をしましょう。平見さんの知りたがっている真相は、表向きになっているフェイクのそれと比べて、あまりに現実的で、そしてあまりに非現実的です。もしもこのトリックを小説化できる作家がいるとしたら、その作家は必ずミステリで直木賞を取れるでしょうね。その手があったかと、聞いて感心。見て納得というものです。なので、もしこの美しいトリックが公表されてしまった場合、その美しさに狂わされた人間によって、スカイツリーや東京タワーが再び大混乱の舞台となってしまう可能性が高いと、私は踏んでいます。それに、松葉直也の模倣犯が現れて、また尊い命が失われるという可能性もある状況を、依頼人の方は望んではおられません。ですから私は、いち探偵として、被害者がスカイツリーや東京タワーに自力で登るという、力技トリックを全面的に支持します。火事場の馬鹿力ここに極まれりというわけです」
「お前自身は、それでいいのか」
「ええ。それが私の仕事ですから」赤井は姿勢を正した。「オレには、その真相を教えてはくれないのか」
「知りたいですか?」
 赤井はわざとらしく尋ねた。
「知りたいさ。だって、落ち着かないだろ。なぜ、あんなに松葉がお前に執着していたのかも解らない」
「そうですか。それだったら、私に真相解明を依頼してくださいよ」
「お前は、どこまでも職務に忠実なやつだな」
「当たり前じゃないですか。言っておきますが、私への依頼は安くはないですからね」
「探偵の癖に、助手もいない分際で何を言っているんだ」
「年下に使われるのって、やっぱり嫌でしょう?」
「お前に使われるのが嫌なだけだろ」
「うわ、結構効きますよ。それ。私は探偵とはいえ、女の子なんですから」
「性別は関係ない」
「本当にそうでしょうか」赤井はオレに背を向けた。「そもそも、平見さんはもう東京タワーとは無関係の人間です。どうです? 職探しは順調ですか?」
「おととい、ラブホテルのアルバイトをクビになったばっかりだ」
 オレは事実を話した。
「苦戦中ですか?」赤井は単なる笑顔を浮かべて、こちらに向き直った。「平見さんさえよければ、私の助手になりませんか」
「お断りだ」
「人の好意を無下にする人は嫌われますよ」
 赤井は不機嫌そうに言った。
「そんな理由で嫌われたことはない」
「そんなに真相が知りたいなら、ヒントをあげましょうか?」
「いらない」オレはそう言って、意識的に足を踏み出した。「じゃあな」
 赤井に、カラフト犬に、東京タワーに背を向けて、それらから離れていく。
 そして、オレは事件の終わりを確かに実感していた。
 六百三十四メートルのてっぺんで、三百三十三メートルのてっぺんで起きた殺人事件は、幕を閉じた。
 オレはそのまま歩みを進めて赤井から離れたが、しばらく離れたところで呼び止められた。なので振り返ると、ただでさえ小さな赤井が、マッチ棒のようなサイズになっていた。遠近法は強力だ。
「どうして松葉直也に恨まれてたのか、私自身、本当にわからないんです」赤井は遠くから叫んだ。「だけど、平見さんになら恨まれたって別にいいですから。また会いましょうね!」
「次はないと思え」
「えっ? 聞こえません!」
 セーラー服姿の小さな探偵を六秒間ほど見てから、オレは東京タワーを後にした。
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