「にへ」とは?
にへとは、昭和初期に見られた「水死体」の事である。
にへを見た者は、驚きと恐怖、悲しみを感じるという。
そして、にへを見た者は、近いうちににへとなると言われており、にへの連鎖を断つ為に、水から遠いところで生贄となる必要があったという。
にへを見た者は、驚きと恐怖、悲しみを感じるという。
そして、にへを見た者は、近いうちににへとなると言われており、にへの連鎖を断つ為に、水から遠いところで生贄となる必要があったという。
文献から分かる事
にへとは昭和初期に限定して見られた怪異であり、その外見は「水死体」である。
それを見た反応は、一般的な水死体を見た際と変わらない為、怪異と言えるか微妙。
にへを見た者がにへになると言うのは、にへが「何らかの感染性」を持つ為だと思われる。
それを見た反応は、一般的な水死体を見た際と変わらない為、怪異と言えるか微妙。
にへを見た者がにへになると言うのは、にへが「何らかの感染性」を持つ為だと思われる。
「にへ」の正体はとある病気?
にへが「水死体」である点、水から遠い所に向かう点、そして「何らかの感染性の可能性が高い」点から、にへの正体が推測できる。
その正体とは『狂犬病(恐水症)』ではないか。
昭和初期と言えば、第一次世界大戦の直後であり、兵士として国外に出兵し、何らかの要因で狂犬病に感染した者が国内に帰省してから発症したと考えられる。
極度の渇きと思考力の停止から水難事故に遭い、結果として「水死体」として発見された「感染源」を弔ったり、傷口などに触れたものが「感染」し、新たな「にへ(発症者)」となるのではないだろうか。
また、水から遠ざかろうとするのは「狂犬病」の「水恐怖症」の症状の為であるとも考えられ、凶暴化した発症者を「生贄」として『処分』したものと考えれば辻褄が合う。
その正体とは『狂犬病(恐水症)』ではないか。
昭和初期と言えば、第一次世界大戦の直後であり、兵士として国外に出兵し、何らかの要因で狂犬病に感染した者が国内に帰省してから発症したと考えられる。
極度の渇きと思考力の停止から水難事故に遭い、結果として「水死体」として発見された「感染源」を弔ったり、傷口などに触れたものが「感染」し、新たな「にへ(発症者)」となるのではないだろうか。
また、水から遠ざかろうとするのは「狂犬病」の「水恐怖症」の症状の為であるとも考えられ、凶暴化した発症者を「生贄」として『処分』したものと考えれば辻褄が合う。
「にへ」の自然消滅
このような「取り組み」により、にへは感染者を増やす前に自然消滅したものと考えられる。
というより「生贄を捧げる」という、世界各地で見られる狂気とも思える文化は「にへ」の例のように「感染症(特に狂犬病)」に対して、ある種の「防衛機能」として働いていた可能性がある。
『山間の村の方が海や川沿いの地域に比べて生贄文化が多様』である理由も「にへ」の例から推測でき、よそ者を嫌う文化も「にへ」に関連する可能性がある。
というより「生贄を捧げる」という、世界各地で見られる狂気とも思える文化は「にへ」の例のように「感染症(特に狂犬病)」に対して、ある種の「防衛機能」として働いていた可能性がある。
『山間の村の方が海や川沿いの地域に比べて生贄文化が多様』である理由も「にへ」の例から推測でき、よそ者を嫌う文化も「にへ」に関連する可能性がある。
まとめ
現代では『意味不明で野蛮』とされる生贄文化だが、実はその文化が地域や集団を「感染症」から守ってきた可能性もあり、逆説的にその様な文化を持たなかった集団は「淘汰」されて来た為『生贄文化が世界各地で一般的』だったのではないだろうか。
先人の知恵は医学や科学を持たずとも生き残る為の工夫であり、その理由を解き明かしていけば『民俗学』は「文化の違い」や「差別の防止」に繋がるのでは無いだろうか。
「にへ」の伝承は恐ろしくとも、そんな学びを我々に残してくれているのだろう。
先人の知恵は医学や科学を持たずとも生き残る為の工夫であり、その理由を解き明かしていけば『民俗学』は「文化の違い」や「差別の防止」に繋がるのでは無いだろうか。
「にへ」の伝承は恐ろしくとも、そんな学びを我々に残してくれているのだろう。
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