おまけ(楽曲)Magic Wand
第一章
『魔法撲滅委員会』
『魔法撲滅委員会』
第1話『魔法の杖』
『魔法撲滅委員会』
電気ランタンの頼りない豆電球だけが真っ暗な闇に立ち向かう薄暗い地下室で、冷たい灯りに反射するわけでも、自ら発光するわけでもない白い球のついた、金属のような光沢を持つ黒い柄の杖を握りしめた、若い男が立っていた。
彼はまだその胸に残る香りと体温を痛々しいほどに感じながら、目を閉じたまま祈りを捧げる長い髪の美しい女性を見つめて、その杖を高く掲げる。
——覚悟など、とっくの昔に出来ている。
杖を振るえば、償いは、終わる。
——杖は、魔法を恨む彼らに届くだろう。
——杖は、魔法のない世界を作るだろう。
だから——この杖を振るわなくてはいけない。
冷たい床の上で跪いた最後の魔法を消し去るために、魔法の杖は高く掲げられ、彼の手と共振して微弱に震え、ただ振り下ろされる瞬間を待つ。
祈りを終えた女性はゆっくりと目を開き、柔らかな笑みを男に向け、彼の名を呼ぶ。
「アルドゥハ————」
濡れた熱い呼気を震えながら吐き出し、割れんばかりに歯を食いしばった男は彼女の最期の言葉を聞き届け、勢い良く杖を振り下ろした。
——そして杖は時を超え、再び彼らの元へと届く。
———————
第1章『魔法撲滅委員会』
第1話『魔法の杖』
少年は机から発される木の香りを頬で感じていた。
知らぬ間に進んでいた頭の中の時計の針を、強制的に合わせるかのごとく鳴り響いた五時間目終了のチャイムと共に目を覚まし、直後の授業終了の号令で慌てて立ち上がる。
少年は長い夢を見ていた。
それは『罪滅ぼしの為に罪を犯す』夢で、いざ目覚めてしまえばあまりに滑稽で、考えてみれば矛盾に満ちた夢だった。
なのに夢の中にいる間はずっと悲しく、ずっと泣きたいのを堪《こら》え続けていたような気分だった。
——それは自ら不幸になる選択を強要され続けているかのような夢だった。
「おい、アルドゥハ。今日お前が日直だろ」
眠っていた少年の代わりに号令を行ってくれたのは、ゲーム仲間にしてクラスメイトのオゾンだった。
彼はアルドゥハの方に身体をひねって、からかうように声をかけた。
「早く黒板消して来いよ、そこまでは|援護《カバー》してやらんぞ」
何故だが無性に懐かしく感じる言葉の響きにアルドゥハは困惑しながらも立ち上がり、無意識に何かを手に取ろうとしたが、自分でも何を手に取ろうとしたのかわからなかった。
——そういえばそうか。
自分は学生で、今日は日直。
思い出せもしないのに、夢と現実が混濁しているな。
彼はもうひと眠りしたいという欲求を堪え、重たい体を引きずり国語の板書でびっしりの黒板の方に向かった。
「——まったく。給食を食べて、一番眠いタイミングに国語、六時間目は社会なんて、もうこれ睡眠魔法だろ。春眠暁を覚えずだ」
「もう五月だぞ。どう考えても深夜までターキーとゲームやってたせいだろうが……」
教卓のすぐ前の席で肘を付きながら小言を言うオゾンと、それを後ろ首で聞き流すアルドゥハは、昨日も共に|戦場《バトルフィールド》を駆け巡った。
しかし途中で彼が|寝落ち《戦死》したため、アルドゥハはオゾンとの共通の友人であるターキーと二人で、誰にも止められないまま三時過ぎまで戦い続けたのだ。
——自分たちはオンライン対戦の抗いがたい魔力の犠牲者に過ぎず、生活を改める気などさらさらない。
ゲーム中心の生活を辞めてしまえば、なんのために生活をするのかわからなくなってしまうではないか。
「そんな生活してて、またゲーム機没収されても知らんからな」
「ははは……」
キューッキューッと長いストロークで雑に黒板を消しながら、アルドゥハは現実から目をそらすためにグラウンドの方を眺める。
一階の教室からの眺めはそれほど良いものでもないが、彼がゲーム機を風呂に沈められた時のトラウマから逃れ、気を紛らわすには十分に広かった。
——あの時はゲーム機をもう一度買ってもらうためだけに、二年生の期末テストは本気でやったものだ。
普段は平均点しか取らない自分が五教科で400点を叩き出したことで、父は春休み中にようやくゲーム機を買い直してくれたのだ。
……また平均に戻れば、再び壊されるリスクもあるが、テストの要領は掴めた。
次は適当にやったって、一夜漬けで父が満足する点数くらい取れるだろう。
そんな地獄の日々と手に入れた安寧に思いを馳せながら窓の外を眺めていると、アルドゥハはグラウンドでうろつく何かに目を惹かれた。
「——なにあれ、犬?」
乾いた無人の白っぽい大地には、何匹かの真っ黒な犬か何かがいた。
しかし誰も騒ぎ立てず、忙しく昼寝をしたり仲の良いクラスメイトと談笑するばかりで、アルドゥハ以外は誰一人として犬の存在に気付いていないようだった。
次の授業のために教科書を引き出しから引きずり出したオゾンがアルドゥハの呟きに反応し、外に目を向けた。
——だが彼が窓の向こうに目をやる直前、犬たちはまるでゲーム内で倒した敵が消えるように、スゥーッと景色に吸い込まれていった。
「……なに寝ぼけてんだ、お前」
オゾンは呆れたようにそう言い放ち、困惑で黒板を消す手を止めているアルドゥハの方に向き直る。
目の前で起きたありえない現象にフリーズしていた彼は、背中から感じる冷たい視線に急かされ、再び手を振り始めた。
——見間違いだろうか。
夢を見たせいで脳みそがまだ混乱しているのだろう。
彼は無理やり怪奇現象を寝ぼけて見た幻覚と思い納得し、理解するのを諦めて再び黒板を消し始めた。
腰の曲がりかけたおばあちゃん先生が板書をしながら、穏やかな口調で子守唄を歌う。
老婆の語る戦争がどうのこうのという話を毎晩しっかりゲームで予習しているアルドゥハは、再び強い眠気に誘われていた。
うつら、うつらと船を漕ぎながら、ノートにミミズを這わせて——
これ以上は眠気を耐えられないと判断したアルドゥハは、大人しく睡魔将軍からの降伏勧告を受け入れ、ゆっくりと夢の世界へと堕ちていった。
———————
気が付いた頃には、だだっ広く薄暗い無機質な空間に居ることを知覚する。
冷たさも熱さもなく、音の一つも聞こえてこないその場所が夢だと気付いたアルドゥハは、ただゆっくりと辺りを見渡した。
——そんな場所で誰かが彼の名前を呼ぶ。
『アルドゥハ————』
振り返るとそこには髪が長くて美しい女の人がおり、彼女はまるで石像のように一切動かないまま、少し距離のあるところから彼を呼んでいた。
——先程の夢でも同じ人を見た気がする。
誰よりも大切で、守らなくてはいけない人。
なのに、自分の手で消し去ってしまった人。
……いったい誰なんだろうか、この人は。
少し夢のことを思い出したアルドゥハは、彼女の方に歩み寄る。
すると女性は突然、薄暗い空間を照らし出す眩しい光を放ちながら、優しい声で彼に話しかける。
『この祈り、あなたに届けたよ』
視界を奪うほどの明るさで少しずつ光の粒子と化して消えていく女性から、アルドゥハの本能は思わず目を逸らさせた。
——それでも何故か「見届けなきゃいけない」という強迫観念に駆られた彼の理性は、眩しい中で目を開いて彼女の姿が消えていくのを見届ける。
そんな彼の目には、わけも分からないまま涙が溢れていた。
——全ての終わりを見届けているような、あるいは始まりを感じているような、そんな気分だ。
知らない映画のラストシーン、脈絡のわからないクライマックス。
なにも理解できないのに、ただ感情だけが、彼女の祈りと同化していく。
そして彼女は散りゆく身体をようやく動かして、腕を大きく広げてアルドゥハに抱き着いた。
『私は幸せだったよ。だから————頑張って』
彼女はただ、そんな『祝福』を残し光となり消えてしまった。
再び薄暗くなった空間で、言いようのない喪失感を感じながら——アルドゥハは腕の中に残った何かを手に取った。
それは杖だった。
最初の夢で彼女に振り下ろした、あの『螺旋の杖』だ。
螺旋の部分はなくなっていて、一つの白色球体が先端についているだけだが。
しかし、黒い金属らしきもので出来ているこの杖は、確かに彼があの夢で見たものだった。
——嫌に収まりがいい。
夢から覚めたとき、無意識に手に取ろうとしたのは、きっとこの杖だ。
アルドゥハはその杖を『本能的に』両手で持ち、高く振りかざした。
すると今度は頭の中で、誰かの『呪詛』が響き始めた。
『——僕は認めない』
先程までの優しい女性の声とは違い、低い男の声だった。
突き刺す程に尖った呪いの声を聞いたアルドゥハは、姿のない悪意に怯えて杖を下げて退いた。
唐突に悪夢と化したこの世界は、その呪詛に形を与え——真っ黒な影は、ゆっくりと後ろ向きに歩いていたアルドゥハの背後で、実体を獲得した。
『僕は許さない——』
その影は驚いたアルドゥハから杖を奪い取り、すれ違った彼に背を向けたまま、うつむきながら影の中へと歩いていく。
そして女性が消えてしまったその場所で立ち止まると、ゆっくりと振り返る。
——いったい、なにを認めず、なにを許さないんだ。
アルドゥハが呪いの影に問いをかけようとするが、それは言葉にはならなかった。
うつむいていた影は杖をだらりとぶら下げたまま、ようやく重々しく顔を上げた。
真っ黒で表情すらよく分からない影は——まるで、10年後のアルドゥハような顔だった。
彼が未来の自分の姿をした存在に驚いていると、影は腕を上げ、杖を振り上げた。
——そして、この世の理を話し始めた。
『この世界には、魔法が存在する』
影は杖を振り下ろしながら火を飛ばし、固まってしまっていたアルドゥハの顔の横を通過させる。
夢の中なのに、その『火炎魔法』は頬を焦がす程に熱く、彼は思わず一歩後ずさりする。
『宇宙を作った神は万能ではなく、現実を作るための法則を必要とした。火が起きるのは、現実で条件を満たしたところに『火という情報』が与えられるからだ』
杖を真っ暗な地面についた影は、驚愕と嘲笑を隠せないアルドゥハに静かに冷たい目線を送る。
——未来の自分は、あまり頭が良くないらしい。
発火や燃焼という現象くらいは、中学生の自分ですら理解するところだ。
あらゆる現象は『法則』によって発生していて、それは種も仕掛けもない杖から火球を打ち出すことを容認するようなものではない。
それに従う必要がある以上『|魔法《マジック》』など、ただの『|手品《マジック》』に過ぎない。
しかし影はアルドゥハの『法則』への信頼を打ち砕くように、その脆弱性《ぜいじゃくせい》を語り始めた。
『問題はその法則が『絶対』のものではなく、書き換え可能な『プログラム』に過ぎないことだ。例えば『火という情報』の条件を書き換え『例外的に《今この場所に火を起こす》と』すれば、魔法は発動する』
アルドゥハの顔から嘲笑的な笑みは消え、歪んだ前提の上に理論を再構築していくうちに、今度は乾いた余裕のない笑みが浮かび始める。
——正しい『法則』から書き換えられた《魔》の法則?
もしそんな『《魔法》則』があるのなら——なんだって出来てしまうではないか。
先程の火炎魔法だけでも無限のエネルギーの生成が可能になるのに、もしもあらゆる法則を書き換えられるのであれば——あらゆる困難が魔法で解決する時代が来てしまう。
『だがそうしてしまえば、その『法則』という情報には改ざんの痕跡が残り続け、時としてそれは『|現実不全《バグ》』や『|現象崩壊《エラー》』を発生させる原因となり、法則が正しく機能しなかったり、異常に作用することに繋がる』
影はアルドゥハがよく知る言葉で淡々と、彼の世界に対する常識的な認識を破壊していく。
それをアルドゥハは一気に噛み砕き、冷ますこともなく一気に飲み干していく。
——この世界はゲームのような作りをしているのか。
ゲームの中の|人間《プレイヤー》が|情報《システム》を悪用してグリッチを行う——どころか|情報《システム》そのものを改ざんできてしまうなら、それはもはやチートではないか。
しかも改ざんするのは、個人のデータではなく、|世界《サーバー》の|法則《エンジン》そのものだと——
あり得ない、もしもそんなことが可能なら——宇宙は脆すぎるなんてレベルじゃない。
誰かの意思で簡単に作り変え、書き換えられてしまうのなら——
『いずれ世界そのものが『|魔法災害《クラッシュ》』を引き起こす』
アルドゥハが出しかけた結論を先取りした影が、無表示のまま杖を無機質な空間の地面に突き立てると、突如、空間は明るく、現実的な暖かさと机の香りを伴いながら消え失せた。
——ここは間違いなく現実の学校だ。
目を覚ました感覚もないまま、現実に戻って来たらしい。
いつの間にか椅子に座っていたアルドゥハは、ただ困惑して周りをキョロキョロと見渡す。
そんな彼を、オゾンは斜め前の席から見てニヤニヤと笑っていた。
何事もなかったかのように夢は終わり、すっかり眠気はなくなっていた。
——だが教室の壁の向こう、おそらく中庭の方から、影はアルドゥハに語りかけた。
『魔法の痕跡を消し去り、世界をあるべき姿に戻し、宇宙規模の『魔法災害』を防ぐ——それが、今の|お前《アルドゥハ》の使命だ——』
——すべての魔法を、この世から消し去れ。
電気ランタンの頼りない豆電球だけが真っ暗な闇に立ち向かう薄暗い地下室で、冷たい灯りに反射するわけでも、自ら発光するわけでもない白い球のついた、金属のような光沢を持つ黒い柄の杖を握りしめた、若い男が立っていた。
彼はまだその胸に残る香りと体温を痛々しいほどに感じながら、目を閉じたまま祈りを捧げる長い髪の美しい女性を見つめて、その杖を高く掲げる。
——覚悟など、とっくの昔に出来ている。
杖を振るえば、償いは、終わる。
——杖は、魔法を恨む彼らに届くだろう。
——杖は、魔法のない世界を作るだろう。
だから——この杖を振るわなくてはいけない。
冷たい床の上で跪いた最後の魔法を消し去るために、魔法の杖は高く掲げられ、彼の手と共振して微弱に震え、ただ振り下ろされる瞬間を待つ。
祈りを終えた女性はゆっくりと目を開き、柔らかな笑みを男に向け、彼の名を呼ぶ。
「アルドゥハ————」
濡れた熱い呼気を震えながら吐き出し、割れんばかりに歯を食いしばった男は彼女の最期の言葉を聞き届け、勢い良く杖を振り下ろした。
——そして杖は時を超え、再び彼らの元へと届く。
———————
第1章『魔法撲滅委員会』
第1話『魔法の杖』
少年は机から発される木の香りを頬で感じていた。
知らぬ間に進んでいた頭の中の時計の針を、強制的に合わせるかのごとく鳴り響いた五時間目終了のチャイムと共に目を覚まし、直後の授業終了の号令で慌てて立ち上がる。
少年は長い夢を見ていた。
それは『罪滅ぼしの為に罪を犯す』夢で、いざ目覚めてしまえばあまりに滑稽で、考えてみれば矛盾に満ちた夢だった。
なのに夢の中にいる間はずっと悲しく、ずっと泣きたいのを堪《こら》え続けていたような気分だった。
——それは自ら不幸になる選択を強要され続けているかのような夢だった。
「おい、アルドゥハ。今日お前が日直だろ」
眠っていた少年の代わりに号令を行ってくれたのは、ゲーム仲間にしてクラスメイトのオゾンだった。
彼はアルドゥハの方に身体をひねって、からかうように声をかけた。
「早く黒板消して来いよ、そこまでは|援護《カバー》してやらんぞ」
何故だが無性に懐かしく感じる言葉の響きにアルドゥハは困惑しながらも立ち上がり、無意識に何かを手に取ろうとしたが、自分でも何を手に取ろうとしたのかわからなかった。
——そういえばそうか。
自分は学生で、今日は日直。
思い出せもしないのに、夢と現実が混濁しているな。
彼はもうひと眠りしたいという欲求を堪え、重たい体を引きずり国語の板書でびっしりの黒板の方に向かった。
「——まったく。給食を食べて、一番眠いタイミングに国語、六時間目は社会なんて、もうこれ睡眠魔法だろ。春眠暁を覚えずだ」
「もう五月だぞ。どう考えても深夜までターキーとゲームやってたせいだろうが……」
教卓のすぐ前の席で肘を付きながら小言を言うオゾンと、それを後ろ首で聞き流すアルドゥハは、昨日も共に|戦場《バトルフィールド》を駆け巡った。
しかし途中で彼が|寝落ち《戦死》したため、アルドゥハはオゾンとの共通の友人であるターキーと二人で、誰にも止められないまま三時過ぎまで戦い続けたのだ。
——自分たちはオンライン対戦の抗いがたい魔力の犠牲者に過ぎず、生活を改める気などさらさらない。
ゲーム中心の生活を辞めてしまえば、なんのために生活をするのかわからなくなってしまうではないか。
「そんな生活してて、またゲーム機没収されても知らんからな」
「ははは……」
キューッキューッと長いストロークで雑に黒板を消しながら、アルドゥハは現実から目をそらすためにグラウンドの方を眺める。
一階の教室からの眺めはそれほど良いものでもないが、彼がゲーム機を風呂に沈められた時のトラウマから逃れ、気を紛らわすには十分に広かった。
——あの時はゲーム機をもう一度買ってもらうためだけに、二年生の期末テストは本気でやったものだ。
普段は平均点しか取らない自分が五教科で400点を叩き出したことで、父は春休み中にようやくゲーム機を買い直してくれたのだ。
……また平均に戻れば、再び壊されるリスクもあるが、テストの要領は掴めた。
次は適当にやったって、一夜漬けで父が満足する点数くらい取れるだろう。
そんな地獄の日々と手に入れた安寧に思いを馳せながら窓の外を眺めていると、アルドゥハはグラウンドでうろつく何かに目を惹かれた。
「——なにあれ、犬?」
乾いた無人の白っぽい大地には、何匹かの真っ黒な犬か何かがいた。
しかし誰も騒ぎ立てず、忙しく昼寝をしたり仲の良いクラスメイトと談笑するばかりで、アルドゥハ以外は誰一人として犬の存在に気付いていないようだった。
次の授業のために教科書を引き出しから引きずり出したオゾンがアルドゥハの呟きに反応し、外に目を向けた。
——だが彼が窓の向こうに目をやる直前、犬たちはまるでゲーム内で倒した敵が消えるように、スゥーッと景色に吸い込まれていった。
「……なに寝ぼけてんだ、お前」
オゾンは呆れたようにそう言い放ち、困惑で黒板を消す手を止めているアルドゥハの方に向き直る。
目の前で起きたありえない現象にフリーズしていた彼は、背中から感じる冷たい視線に急かされ、再び手を振り始めた。
——見間違いだろうか。
夢を見たせいで脳みそがまだ混乱しているのだろう。
彼は無理やり怪奇現象を寝ぼけて見た幻覚と思い納得し、理解するのを諦めて再び黒板を消し始めた。
腰の曲がりかけたおばあちゃん先生が板書をしながら、穏やかな口調で子守唄を歌う。
老婆の語る戦争がどうのこうのという話を毎晩しっかりゲームで予習しているアルドゥハは、再び強い眠気に誘われていた。
うつら、うつらと船を漕ぎながら、ノートにミミズを這わせて——
これ以上は眠気を耐えられないと判断したアルドゥハは、大人しく睡魔将軍からの降伏勧告を受け入れ、ゆっくりと夢の世界へと堕ちていった。
———————
気が付いた頃には、だだっ広く薄暗い無機質な空間に居ることを知覚する。
冷たさも熱さもなく、音の一つも聞こえてこないその場所が夢だと気付いたアルドゥハは、ただゆっくりと辺りを見渡した。
——そんな場所で誰かが彼の名前を呼ぶ。
『アルドゥハ————』
振り返るとそこには髪が長くて美しい女の人がおり、彼女はまるで石像のように一切動かないまま、少し距離のあるところから彼を呼んでいた。
——先程の夢でも同じ人を見た気がする。
誰よりも大切で、守らなくてはいけない人。
なのに、自分の手で消し去ってしまった人。
……いったい誰なんだろうか、この人は。
少し夢のことを思い出したアルドゥハは、彼女の方に歩み寄る。
すると女性は突然、薄暗い空間を照らし出す眩しい光を放ちながら、優しい声で彼に話しかける。
『この祈り、あなたに届けたよ』
視界を奪うほどの明るさで少しずつ光の粒子と化して消えていく女性から、アルドゥハの本能は思わず目を逸らさせた。
——それでも何故か「見届けなきゃいけない」という強迫観念に駆られた彼の理性は、眩しい中で目を開いて彼女の姿が消えていくのを見届ける。
そんな彼の目には、わけも分からないまま涙が溢れていた。
——全ての終わりを見届けているような、あるいは始まりを感じているような、そんな気分だ。
知らない映画のラストシーン、脈絡のわからないクライマックス。
なにも理解できないのに、ただ感情だけが、彼女の祈りと同化していく。
そして彼女は散りゆく身体をようやく動かして、腕を大きく広げてアルドゥハに抱き着いた。
『私は幸せだったよ。だから————頑張って』
彼女はただ、そんな『祝福』を残し光となり消えてしまった。
再び薄暗くなった空間で、言いようのない喪失感を感じながら——アルドゥハは腕の中に残った何かを手に取った。
それは杖だった。
最初の夢で彼女に振り下ろした、あの『螺旋の杖』だ。
螺旋の部分はなくなっていて、一つの白色球体が先端についているだけだが。
しかし、黒い金属らしきもので出来ているこの杖は、確かに彼があの夢で見たものだった。
——嫌に収まりがいい。
夢から覚めたとき、無意識に手に取ろうとしたのは、きっとこの杖だ。
アルドゥハはその杖を『本能的に』両手で持ち、高く振りかざした。
すると今度は頭の中で、誰かの『呪詛』が響き始めた。
『——僕は認めない』
先程までの優しい女性の声とは違い、低い男の声だった。
突き刺す程に尖った呪いの声を聞いたアルドゥハは、姿のない悪意に怯えて杖を下げて退いた。
唐突に悪夢と化したこの世界は、その呪詛に形を与え——真っ黒な影は、ゆっくりと後ろ向きに歩いていたアルドゥハの背後で、実体を獲得した。
『僕は許さない——』
その影は驚いたアルドゥハから杖を奪い取り、すれ違った彼に背を向けたまま、うつむきながら影の中へと歩いていく。
そして女性が消えてしまったその場所で立ち止まると、ゆっくりと振り返る。
——いったい、なにを認めず、なにを許さないんだ。
アルドゥハが呪いの影に問いをかけようとするが、それは言葉にはならなかった。
うつむいていた影は杖をだらりとぶら下げたまま、ようやく重々しく顔を上げた。
真っ黒で表情すらよく分からない影は——まるで、10年後のアルドゥハような顔だった。
彼が未来の自分の姿をした存在に驚いていると、影は腕を上げ、杖を振り上げた。
——そして、この世の理を話し始めた。
『この世界には、魔法が存在する』
影は杖を振り下ろしながら火を飛ばし、固まってしまっていたアルドゥハの顔の横を通過させる。
夢の中なのに、その『火炎魔法』は頬を焦がす程に熱く、彼は思わず一歩後ずさりする。
『宇宙を作った神は万能ではなく、現実を作るための法則を必要とした。火が起きるのは、現実で条件を満たしたところに『火という情報』が与えられるからだ』
杖を真っ暗な地面についた影は、驚愕と嘲笑を隠せないアルドゥハに静かに冷たい目線を送る。
——未来の自分は、あまり頭が良くないらしい。
発火や燃焼という現象くらいは、中学生の自分ですら理解するところだ。
あらゆる現象は『法則』によって発生していて、それは種も仕掛けもない杖から火球を打ち出すことを容認するようなものではない。
それに従う必要がある以上『|魔法《マジック》』など、ただの『|手品《マジック》』に過ぎない。
しかし影はアルドゥハの『法則』への信頼を打ち砕くように、その脆弱性《ぜいじゃくせい》を語り始めた。
『問題はその法則が『絶対』のものではなく、書き換え可能な『プログラム』に過ぎないことだ。例えば『火という情報』の条件を書き換え『例外的に《今この場所に火を起こす》と』すれば、魔法は発動する』
アルドゥハの顔から嘲笑的な笑みは消え、歪んだ前提の上に理論を再構築していくうちに、今度は乾いた余裕のない笑みが浮かび始める。
——正しい『法則』から書き換えられた《魔》の法則?
もしそんな『《魔法》則』があるのなら——なんだって出来てしまうではないか。
先程の火炎魔法だけでも無限のエネルギーの生成が可能になるのに、もしもあらゆる法則を書き換えられるのであれば——あらゆる困難が魔法で解決する時代が来てしまう。
『だがそうしてしまえば、その『法則』という情報には改ざんの痕跡が残り続け、時としてそれは『|現実不全《バグ》』や『|現象崩壊《エラー》』を発生させる原因となり、法則が正しく機能しなかったり、異常に作用することに繋がる』
影はアルドゥハがよく知る言葉で淡々と、彼の世界に対する常識的な認識を破壊していく。
それをアルドゥハは一気に噛み砕き、冷ますこともなく一気に飲み干していく。
——この世界はゲームのような作りをしているのか。
ゲームの中の|人間《プレイヤー》が|情報《システム》を悪用してグリッチを行う——どころか|情報《システム》そのものを改ざんできてしまうなら、それはもはやチートではないか。
しかも改ざんするのは、個人のデータではなく、|世界《サーバー》の|法則《エンジン》そのものだと——
あり得ない、もしもそんなことが可能なら——宇宙は脆すぎるなんてレベルじゃない。
誰かの意思で簡単に作り変え、書き換えられてしまうのなら——
『いずれ世界そのものが『|魔法災害《クラッシュ》』を引き起こす』
アルドゥハが出しかけた結論を先取りした影が、無表示のまま杖を無機質な空間の地面に突き立てると、突如、空間は明るく、現実的な暖かさと机の香りを伴いながら消え失せた。
——ここは間違いなく現実の学校だ。
目を覚ました感覚もないまま、現実に戻って来たらしい。
いつの間にか椅子に座っていたアルドゥハは、ただ困惑して周りをキョロキョロと見渡す。
そんな彼を、オゾンは斜め前の席から見てニヤニヤと笑っていた。
何事もなかったかのように夢は終わり、すっかり眠気はなくなっていた。
——だが教室の壁の向こう、おそらく中庭の方から、影はアルドゥハに語りかけた。
『魔法の痕跡を消し去り、世界をあるべき姿に戻し、宇宙規模の『魔法災害』を防ぐ——それが、今の|お前《アルドゥハ》の使命だ——』
——すべての魔法を、この世から消し去れ。
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