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  それを
    《正義》
      と呼ぶらしい

『にせもの』第一章

場面1『呪い』

『にせもの』

【第一章】『仮面』

 この世界にある全ては『にせもの』で、何一つとして本当のものなんて無い。
 多分、それが私が信じる唯一の事実だった。
 私はとある神社の娘として生を享け、物心ついた頃には「神様」について教えられてきた。
 しかし、それを信じきる事も出来ないうちから皆が信じる「サンタクロース」が嘘だと知って、それ以来私は親も先生も友達も、誰一人として心から信じることはなかった。

 そんな私も中学二年生になり、新学年では風紀委員として活動する事になった。
 今日の委員会では、新年度の『あいさつ運動』とやらの分担についてが議題になっており、各クラスから選任された委員が様々理由を付けて、他の誰かに仕事を押し付けあっていた。

「先生、私はクラブにも所属していませんし、毎朝の家の掃除もすぐに終わるので、毎日でも当番をやれます。」

 どうせ決着のつかない面倒事の押し付け合いに、私は良い人ぶってそう言った。
 そんな仕事は面倒くさいし、本当ならやりたくないけれど、私の『仮面』は良い人であるために、私に自主性がある模範生を演じさせた。
 偉いね、ありがとうの言葉に続いて拍手が起こり、そんな拍手は一瞬で止んだ。

 委員会はすぐに決定が出て終了し、委員たちは各々自分の部活や目的の為に解散した。
 自分の仮面を揺さぶられる事もなく、余計な仕事を与えられる事もなく終わった皆は、私にうわべだけの感謝をしながら嬉しそうに去って行き、先生は最も利用価値のある仮面を改めて称えた。
 ーーこんな仮面の裏側はきっと、結局全部『にせもの』なのに。

 きっと誰だって、人として生きていく為、皆に信じてもらう為に、あるいは誰かに認めてもらう為に、息苦しい仮面を着けて生きている。
 誰かのそんな仮面を利用するような奴らは嫌いで、そういうやつほど誰かが仮面を外して本性を見せようとすると嫌がったり、逆に喜んだりする。
 だから私は『にせもの』だらけの世界で生きていけるように、笑顔の息苦しさに耐え、神様に祈りながら生きていた。
 ーーいつか、私が嫌いな奴らが皆、不幸になりますように、と。

場面2『神は死んだ』

 翌朝、委員会の運動を行っていた時の事、私はとある問題児と知り合う事になった。
 校内で一度も見た事がなかった彼は、器用な事に朝から『歩き読書』を行っており、風紀委員の腕章を付けた私を見つけても構わず、堂々と石造りの水道の横にある花壇を跨いだ。

「ちょっと、待ちなさいあなた。歩き読書なんて危ないでしょ、それに花壇を跨ぐなんて。」

 何から注意すべきか悩みながらも、とにかく彼の間違いを指摘しながら足を止めさせた。
 しかし、私の注意を鬱陶しそうに聞きながら私の方に向き直った彼は、片手で本を開きながら反論を述べた。

「ここは車道でもないし、周囲にも注意しながら安全に歩いているつもりだけど。そんな事でいちいち注意するくらいなら、玄関の足元に”段差注意”の張り紙でもしておいた方が良いんじゃないか。」

 『仮面』を着ける様子すらない彼の、謎の理論展開に面食らった私は思わず「はぁ?」とこぼしてしまう。
 その隙に歩き去ろうとする彼に対して、私は駆け寄って本を持つ腕を掴む。

「花壇を跨ぐのも駄目でしょう。足元にレンガの境界があったけど、見えなかった?」

 相変わらず鬱陶しそうにする彼は、先程面食らった私とは違う「はぁ。」というため息をこぼし、「なぜ花壇を跨ぐのは駄目なんだ。」と聞いてきた。

「それは……危ないし、花が可哀想だし、そこ道じゃないから。」

 そんな私の返答を彼は鼻で笑い、「可哀想だとなぜ駄目なんだ」と質問を重ねた。
 何だコイツは、と思いながらも、私は「神様が見てるから……」と親や先生から何度となく言われた常套句を答えた。
 すると、彼はパタンと読んでいた本を閉じながら、私の目をーー嘲笑うような目で見ながら、「ニタァ」っと笑みを浮かべハッキリと言った。

「神は死んだ。」

 意味が分からなかった。
 意味は分からなかったが、彼はそう言うと私の手を振り払い、そのまま去って行った。
 ーーそれが、彼との出会いであり、また彼が信じる『思想』との出会いだった。

場面3『最低な奴』

 朝の委員会活動はその後何事もなく終わり、クラスに戻ると皆が彼の噂をしていた。
 クラスメイトの友人に今朝の出来事を愚痴りつつ、元凶である彼の話を聞くと、なんでも彼は小学5年生の頃に両親を亡くしてから不登校になっていた子らしい。

「元々はあんな子じゃなくって、むしろ元気でアルトラもよく一緒に遊んだって言ってたけど……。」

 友人の彼氏が不登校児と同じ小学校出身らしく、彼の突然の登校に小学校の同級生達は皆驚いているらしい。
 ああ、私は彼の過去を知らないまま、ただの頭のおかしい奴だと思っていたな、と若干反省しつつ、同時に「彼を正しい方向に導いてやらなくてはいけない」と感じた。

 朝のホームルームの始まりを告げるチャイムで、他のクラスから遊びに来ていた女子達は慌ててクラスから出ていき、おそらく同じような理由で急いで教室に入ってきた男子とぶつかりそうになりながらも、チャイムが終わる前になんとか席につく。
 そしてチャイムが終わると同時にクラス担任が噂の彼を連れて、教卓の横に彼を立たせた。

「知っている人は知っていると思うけれど、今日から改めてクラスの仲間として一年間やっていく子が来てくれているから、早速だけど自己紹介してもらうね。」

 ザワつくクラスに怯える事もなく、教卓に立った彼はただ一言「ケイです。」とだけ自己紹介をし、私と目が合うとまたあの、人を嘲笑うかのような目で見つめながら「よろしく。」と付け加えた。

「初めての中学校で分からない事もあるだろうから、困った事があったら誰にでも頼ってね、私も基本は職員室にいるからいつでもおいで。」

 先生はケイの背中に手を置いて、「頑張ってね」と付け加えて、教室の後方にある空席を指差して向かうように促した。


 ホームルームが終わり、5分程度の休み時間に再び噂話は始まり、クラスの皆が彼をどの様に扱うべきかで議論をしていた。
 一方ケイはそんな周りの噂話には耳も貸さず、今朝の本をポケットから取り出すと、読書を開始した。
 私はそんなケイに近付きながら、彼に握手を求めながら自己紹介した。

「私は風紀委員のスズ。さっきは突っかかってごめんね。」

 私もキズ物を扱う様に、その上でケイがその事を察して傷付かないように、新しい友人になろうと手を差し伸べた。
 するとケイは私の手を取って、クラス全員が見守る中で握手に応じ「それも、お前の神様の思し召しか?」と嗤った。
 ーーその一言はクラスにとって、彼のイメージを決定付けるものだった。
 世間知らずでイヤミったらしい一匹狼、皆がケイに対してそんな印象を持っただろう。
 私は苛立ちよりも、何も知らないまま彼をそんな立場に追いやってしまったであろう事が悲しくなり、思わず涙をこぼしそうになったが、なんとかこらえた。
 しかしその姿はきっと、皆にとってケイを女子をいきなり泣かせかけた『最低な奴』にしたのだろう。
 クラスメイトの「うわぁ……」という声が私にまで聞こえ、私は更に泣きそうになった。

場面4『学年首位』

 学年始めの確認テストが始まり、委員会活動は一時終了となった。
 あくまで成績には関係の無いテストではあるが、塾に通うような人達はそれでも良い点を目指しているようで、そんな話が聞こえてくる度に勉強が苦手な私は少し憂鬱になった。
 そして翌週、確認テストが終わり、授業毎に順次テストが返却され始めると、ケイは再びクラスの注目の的になった。

「はぁっ!?アイツが学年順位一位!?」

 学年共有の廊下に張り出された『学年順位表』の一位の欄には、ケイの名前があった。皆が何かの間違いか、カンニングだと噂するが、実際492点というぶっち切りの点数を見れば、誰だって事実かどうか疑いたくなる。
 しかし、いつも通り難しそうな『哲学』の本を歩き読みしながら、誰とも群れないまま教室に入っていくケイの姿を見せ付けられると、誰もがその点数が彼の実力なのだと受け入れざるを得ないようだった。

「あなたって、意外と……いや意外でも無いけど、頭良いんだ。」

 一番の友人の彼氏ーー私との共通の友人がトップ100入りしたのを祝って小躍りしていて、邪魔するのも悪かったので、私はケイに声を掛けた。

「そりゃ、神様に学力向上のお祈りしてるような人よりは。」

 いちいち発言に棘がある男ではあるが、こうなると彼が何かすごく高尚な事をしている様に見えてきて仕方がなかった。
 私は思い切って彼に「なんの本を読んでるの?」と質問し、彼の読む本の内容を覗き込む。

『「信仰」は科学に対する拒否』
『いかなる対価をもはらう虚言である』

 小難しい事が書いてある本だったが、なんとなく目を通した所にはそんな事が書いてあった。

「これは、君みたいに自分を生きず、『にせもの』に縋って生きる人には刺激が強すぎる本だと思うけど。」

 ケイはそんな事を言いながらも、少し私に見やすいようにページを開いてくれたように思う。
 しかし、私はそれ以上に彼の言う『にせもの』に縋ると言う言葉が引っかかった。

「この世界にある全ては『にせもの』で、何一つとして本当のものなんて無い……。」

 私が彼の学んで来た事に興味を示すと、彼はまた私に少し興味を持ったようで「ニヒリズムか……」と呟きながら私の方を向いた。

「『仮面』の裏側はきっと、結局全部『にせもの』なんだ……。」

 これが、私が唯一信じる事だった。この世界にある、前提とされる『常識』に従って、誰もが仮面を着ける。
 なのに、その『前提』が間違っている可能性を、それが『にせもの』かも知れないと言う事を、誰も疑おうとしない。
 ーーそんな『哲学』の答えを、私の目の前にいるこの男が持っていると思うと、自分が今まで仮面の裏側で考え続けてきた事を伝えたくなった。
 自分の考えを話したがる私の様子を見ながら、彼はいつもの見下すような、嘲笑うような目ではなく、期待するような目を向けて言った。

「スズ、君は君の信じてきた神を否定する事が出来るかい?」

場面5『にせもの』

 その日の放課後、私はどうしても彼の話が聞きたくて、ケイの家に突然遊びに行くことになった。
 私としては、正直どんな噂をされても構わなかった、ずっと胸に引っかかっていた疑問の答えがそこに行けば分かるかもしれなかったからだ。

 ケイが玄関先で「ただいま」と言うと、60歳過ぎくらいの優しそうなおばあちゃんが玄関までケイを出迎えに来た。
 ケイのおばあちゃんは優しい笑みを私に浮かべながら私の挨拶に答えてくれた。

「ケイや、もう彼女を連れてきたのかい。」

 ケイは「ちっ、ちがう!」と言いながら、靴を脱ぎ捨てると古い木製の階段を逃げる様に駆け上がって行った。
 「ゆっくりしていって」というおばあちゃんのご厚意に預かり、私もケイのあとを追って二階に向かう。
 古い木と土壁の匂いがする廊下の突き当りの部屋のドアが開いており、そこがケイの部屋のようだった。
 イメージ通りというか、ケイの部屋は難しそうな本が背丈程ある三つの本棚にほぼギッチリ詰まっており、それでも一部には漫画やライトノベルも混ざっていた。

「元々は両親も通りにあった部屋で住んでたんだけど、色々あって今は一人で二階に住んでる。」

 ケイはカバンを下ろすと隣の部屋から椅子を引き出してきて、私に座るように促した。
 私が床にカバンをおいたのを確認すると、ケイは私の方を向いて早速『にせもの』の話を始めた。

「まず、君はどうして神様を信じてるの?」

 まるで見定めるかのように、それでいて何か期待するかのような目でケイは私の目を見てそう言った。
 そんなケイの目が、何故か蔑むようなあの目より怖く見えてしまったので、私は目線をそらした。

「簡単に言ってしまえば、神社生まれだから。親は私に神様に対して祈り、感謝しながら生きる事を私に求めてた。」

 それで親の期待に応える為に、信じてもいない神様の為に祈り、今までずっと『仮面』を付けて生きてきた事、そんな仮面をケイ以外の皆が着けているであろうという事を話した。
 ケイはいつになく真面目に、相槌を打ちながら私の話を聞いていた。

「だから仮面を着けていない僕が、何を考えているのか不思議で仕方がないと。」

 仮面の話を深堀して、自分を演じる息苦しさや、それを利用しようとする奴らが嫌いで、本当はやりたくない事も仮面を守るためにはやらなくちゃいけないのに、その仮面すら『にせもの』の世界で生きる手段でしかないのではないか、という疑問を話していると、ケイは話の要点だけを一言でかいつまんだ。
 実際、ケイは誰よりも賢いのに、誰かと仲良くしようとすらしないのは私にとって不可解で、彼が誰かに認められようとすらしないのは何故なのか気になっていた。

「世界が『にせもの』で溢れていて、そこには何の価値もないっていう、君の考え方には続きがあるんだ。」

 そう言うとケイは、私に『にせもの』のその先について語り始めた。

場面6『その先』

 この世界の全ては『にせもの』で、誰もが何を信じて良いか分からないまま、ただ役割を持った『仮面』を着けて生きている。
 ケイは私が今まで信じてきた唯一の事実を肯定し、人間の正体とは、そんな『仮面』を守る為に『にせもの』の世界で何かに縋って生きる『弱者』だと言ってのけた。

 普通人間は自分が生きているのが、不安定で簡単に揺らいでしまう『嘘』の上にある事を認識できず、誰もが『にせもの』こそが唯一の真実であり自分が縋るべき現実であると思っているのだという。
 しかし時々、『にせもの』に裏切られたり、真実だと思ってきた何かが覆された時に、人間は自分が信じてきたものが間違っていたとーーいままでの生き方が間違っていたと知ってしまう事があるらしい。
 その時人間は『世界の無意味さ』を痛いほど思い知らされ、何も信じられない状態、『ニヒリズム』ーーつまり「世界不信」とでも呼べる状態に陥る。

 つまり私は今まで、『ニヒリズム』に陥った『ニヒリスト』として、『にせもの』を疑いながら生きてきたらしい。
 しかしケイは、私のような『にせもの』不信の向かう先には、『一つの結論』があるという。

「ニーチェはそれを≪超人思想≫と呼んだ。」

 またいつ壊れるかも分からない、誰かに与えられた『にせもの』に縋って生きるより、自分自身が『正しい』と信じる何かを信じ、ひいては自分自身が最も正しいと信じて生きる事こそが正しい生き方なのだと。
 それこそが『自分を生きる』という事であり、自分ではどうしようもない何かに従って『仮面』を着ける行為は、『自分を生きない事』で責任から逃れているに過ぎない。
 その為には、自分の信じられる『正しさ』を探し、自分の『答え』を出していくという、誰かに正しさを『保障』してもらいながら生きるのとは、比べ物にならないくらいの苦しみと不安を味わいながら生きていかなくてはいけない。
 だから、自分が『にせもの』に縋って生きている事にすら気付くことなく、『仮面』を着けて生きているのは『弱者』なのだ。

「でも、君はそれにずっと昔から疑問に思っていて、その答えを求め続けてきた。」

 「どう?」とケイは最初に私に見せた歪んだ笑顔を若干見せながら聞いた。
 ーー人生の大半を支配し続けてきたその疑問の答えは、それこそ気持ちがいいくらい簡単に、私が信じてきた『仮面』を着けるべきという常識をぶち壊した。
 「ふふふっ」と、思わず笑ってしまった。

「二人が今幸せなのも、私が幸せになりきれなかったのも、全部『仮面』に任せて、自分を生きようとしなかったからなんだ。」

 自分を利用する人達も、自分に過度に期待する家族も、一番の友達の裏切りも、全部許してやったのに。
 ああ、嫌いだ。本当にみんな嫌いだ。
 ーーわたしの嫌いな奴らが、どうか地獄に落ちますように。

場面7『仮面の裏側』

 つい3ヶ月ほど前、私はとある人に恋をしていた。
 ただ、その人には既に侍らせている女の子がいたため、私はその子に遠慮して、まず『二人の共通の友人』として近付き、更に告白の予定まで彼女に伝え、私としては彼女にその気があるなら「せーの」で告白するつもりだったのに、一番の友人になったその子に裏切られて『抜け駆け』された。

 その結果私は泣きを見る羽目になったにもかかわらず、幸せになった思い人と友人ーー裏切り者たちを、涙を呑んで祝福した。
 私の『仮面』は、ずっと私自身よりも『にせもの』の世界で生きる事を大切にし、私を裏切った奴らすら簡単に許し、私自身を裏切った。

 私は諦め続けてきた。
 結局『ニヒリスト』は自分の不幸の原因を『仮面』に求めていた。
 世界が『にせもの』で、『仮面』が不要だと知っておきながら、信じるものを持たない私は、結局全ての責任を『仮面』に押し付けて、自分の不幸を『仕方がない事』だと、自分では『どうしようもない事』だと言い聞かせて生きてきた。

 『仮面』を外せば、きっと皆失望するだろうな。
 『仮面』の裏側の『ホンモノ』の私は、きっと二人を許さないだろうな。
 それでも。私は、私の決定に従い、私自身を生きなくてはいけない。
 ーーこれ以上、『ホンモノ』の私の傷口が広がる前に、『にせもの』の笑顔を取り外し、私の笑顔を取り戻せるように。


 翌朝、私は今日から再開されるはずの朝のあいさつ活動には参加しなかった。
 そんな時間があるなら、私はもっと彼から、『ホンモノ』に至るための『思想』を学ばなくてはいけない。

「ケイ、おはよう。昨日はありがとう、おかげでくっだらない『仮面』を捨てることが出来たわ。」

 朝から読書をしているケイに接触したが、ケイは昨日とは打って変わって、またつまらなさそうな、人を蔑むような眼で私を見ていた。
 「あっそ。」と呟くように私のあいさつに応え、再び読書に戻った彼に『新しい生き方』の助言を受けようとする私に、空気の読めない裏切り者は遠慮なく話しかけた。

「あれ、スズちゃんおはよう、今日からあいさつ当番だって聞いてたから、玄関に居なくって何事かと思った!」

 声のする方に振り返り、『仮面』の裏側の眼を見せる私に、気安く近付こうとしていた彼女はピタッと足を止めて、あいさつしようとして挙げていた手を下した。
 「どうしたの……?」と真剣な声をーー怯えるような声を発した彼女は、まるで『あの日』の事を思い出しているかのようだった。

「リン。今取り込み中なんだけど、わかんないかな。本っ当に空気が読めないんだね。」

 今までの鬱憤をぶちまける様に、裏切り者の眼を刺すように睨みつけながら、怯える彼女に近付いた。
 裏切り者は椅子にぶつかりながら後ずさりをし、必死で頭を守るような姿勢で「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら、しまいにはしゃがみ込んだ。

 私は彼女の様子にため息を吐きながら、ケイの方に向き直り、質問の続きをしようとした。
 すると彼もため息を吐いて、私に向かって吐き捨てるように言った。

「仮面の裏側も、結局全部『にせもの』じゃないか。」

場面8『まるで、神様』

 ケイの言葉に、私は肩の力が抜けてしまうのを感じた。
 なんで?私の疑問には、ケイ自身が答えをくれて、新しい生き方を提示してくれたのに、どうして今の私に対して『にせもの』なんて言葉が出てくるの?
 分からなかった。分からないまま、呆然としてケイの机の上に置かれた両掌が握りこぶしを作ろうとしていると、ケイは私に『残酷』で『決定的』な答えを示した。

「結局お前は、自分を正当化する為に『仮面』を必要としていて、挙句の果てに新しい『仮面』を誰かに仕上げさせるーー僕の考え方に依存する事で、自分の生き方にすら責任を持たずに生きようとしている。」

 畢竟、お前は筋金入りの『ニヒリスト』で、それ以前に『人間として終わっている』のだと、ケイは私にそう言い放った。
 全身の力が抜けるようだった、結局全ては『にせもの』で、いつだって、誰だって私を裏切るのに、私は何故か……よりにもよって、ケイだけは違うと勘違いしてしまった。

 もう何も分からない、全てがどうでもいい、これがケイの言うところの『ニヒリズム』であり、親切にも彼はその体験を何よりもわかりやすく、誰よりも簡単に教えてくれた。
 そして、そんな私に、未完成の『仮面』は促した。

 ーー全部ぶち壊せ、もう二度と誰も信じなくてもいい、二度と誰にも信じられなくてもいい。

「ケイも!リンも!アルトラも!皆死ねばいい!皆地獄に落ちろ!人の苦しみなんて何も知らないくせに、私が笑顔の下で何を思って、何を感じているのかなんて、理解しようともしないで!!」

 言ってやった!全部言ってやった!「お前らなんて全員死ねばいい!!」死ねばいい!死ねばいい!
 蹴り飛ばされたケイの机が教科書やノートを吐き出し、蹴り上げられた椅子が小さくなって謝罪を加速させるリンにぶつかり転ばせた。

 叫び声を聞いて駆けつけた、かつての思い人に地面に押さえ付けられて動けなくされるまで、足が痛むのにも、手が痛むのにも構わず、当たり散らかし、叫び散らかした。
 昔好きだった男友達が、横に転がっている泣き虫女と同じように、私に対して「ごめん、ごめん」と慟哭しながら必死に私が床に頭を打ち付けるのを止める様子にーー何故だが少し、満足感を感じた。

 ああーー気持ちが良い、私の『ホンモノ』が、今まで散々私の『仮面』を利用して来た奴らを苦しめて、皆が私の苦しみを理解しようとしている。
 ーーこんな事なら、もっと早くあんな『仮面』は外しておけば良かった。

場面9『痛みと苦しみ』

 気が付いたら、保健室にいた。
 本当に意識が無くなるまで暴れる事なんて出来るんだ、と妙に冷静な私は分析した。

 今、私は何者なんだろう。
 暴れ散らかして、少し冷えた頭で自分の『ホンモノ』を探る。
 もっと暴れてやろうと思えば、きっといくらでも暴れられるけれど、手足に加えて後頭部までズキズキとし、氷嚢が優しく包み込んで痛みを和らげてくれるのを甘んじて受け入れていた。

「スズさん、頭は冷えた?」

 保健室の先生が私が動く気配を感じてか、カーテンを開けて私に問いかけた。
 ーー正直分からない、自分がこれからどうしたいのか、何をするべきなのかも。
 ただ、何故かスッキリとした感覚があり、怪我をさせたであろう二人に謝ろうという気は起きないが、早退してやろうという気分にもならなかった。

「一応、親御さんが今向かってくれてて、貴方が落ち着いているなら担任の先生と緊急の三者面談を行う事になると思うけど、大丈夫?」

 そりゃ、当然怒られるだろうな、『何故』と聞かれて答えられる事なんて、何があるんだろう。
 好きな人を3ヶ月前に取られて、それで怒っちゃいました、とかで良いのか分からないけれど、それが暴れた理由かといえば、多分違う。



「だから、私は今まで私の『いい子』の部分を利用して、私の気持ちなんて考えてもくれなかった人達を 傷付けたい と思って、それで暴れてしまいました。」

 父や先生がそれで納得するか知らないけれど、私はそれ以上に暴れた理由を説明できる言葉を持っていなかった。

「リンちゃんやアルトラくんとは仲良しなんでしょう?それで何かあって、ストレスが溜まっていたの?」

 優しい先生は私の『暴力性』に頑張って理由を付けて、憎まれるべきは『罪』であり私ではない、という事にしようとしてくれているらしい。
 けれど、うちの親はそういう人間ではない。

「スズ、良いかいよく聞きなさい。神様はいつだってお前の頑張りを、痛みも苦しみも全部見ていてくれて、いつか必ず報いてくれる。お前がこういう事をすれば、それはいつか必ず『罰(バチ)』となってお前にーーーー」

 仏教の坊主でもないのに、長ったらしいお説教を開始した父にため息が出そうになったが、かえって説法が長引く事になるので私はいつもどおりーー『仮面』をつけて「はい」「はい」と答えていた。

「ーーーと言うわけですので、先生、娘には私から厳しく説教しておきます。」

 「この度は大変ご迷惑をおかけしました」と言いながら、私の痛む後頭部を押さえつけながら、二人で頭を下げた。

場面10『痣』

 家で長い長い説教を受けた翌日、私はホームルーム開始のギリギリで登校した。
 クラスに到着すると、右手に包帯を巻いたリンが私を見るなり怯ながら、それでも私に近付いてきた。

「あ、あの、スズちゃん……こ、こんなこと聞いちゃいけないのは分かってるんだけど、その、あの時の事……なんだよね……?」

 私は若干の罪悪感と、それ以上に空気の読めないこの女に対する怒りの間で揺れながら、自分の心を落ち着かせる為のため息を吐いてから「それは多分、今更怒ってないよ。」と、いつもの『仮面』で応答した。

 リンは少し安堵した様子だが、それでも一言、「これからもお友達でいましょうね」が言えないようで、気まずそうにしながら席に戻った。
 周りのクラスメイトもこの様子に注目しており、話をしている間に「おい、また殴られるんじゃないか?」なんて話していたが、私には最早クラスメイトの目なんてどうでも良くなっていた。

 ギリギリの時間まで教室の外から見張っていたアルトラは、チャイムが鳴り始めるとクラスに戻っていき、ケイは今日は休みを取ったらしく、ホームルームが始まってもなお姿は見えなかった。


 放課後、委員会から「しばらくは出席しなくてもいい」と言われていた私は、やる事もないのでさっさと帰ろうとしていたが、そこにアルトラが現れ、話がしたいと言っていたが、私はそんな気分にもなれなかった。
 包帯を外して、私の頭が下敷きにした右手の痣を隠し続ける彼に「今日はごめん」と言い、私は逃げ帰ることにした。


 家に帰って、手足の包帯と後頭部の氷嚢を取り替えたところで、少し二人に対する罪悪感が強くなり始めた。
 ーー二人はそれでも、私と友達で居続けようとしてくれている。
 未完成の『仮面』なら、それを屈辱的だと捉えたのだろうが、ヒビが入った古い『仮面』は、それを涙が出る程嬉しがっていた。

 私は今、元の『にせもの』の世界に縋って生きる『弱者』なのだろう。
 それでも、私には『ホンモノ』の自分を生きる力も、勇気もなく、そんな生き方をしていたら今より簡単に壊れてしまうのが容易に想像できた。

 ーー来週、二人に謝ろう。
 この痣が癒える前に、もう一度『にせもの』の幸せを取り戻して、こんなに痛い『仮面』とは決別しよう。
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