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  それを
    《正義》
      と呼ぶらしい
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『にせもの』第二章

あらすじ

 ケイの『思想』に触れたスズは、今までの鬱憤を晴らすかの如く暴れ、かつて自分を裏切った友人達を傷付けた。
 その後、冷静になり元の『仮面』を着けて『にせもの』の世界を生きる事を選んだ『弱者』は、二人に許しを請う事にした。

 一方、自らの『思想』の影響でスズが暴走したのを見たケイは、やはり誰一人として自分を理解し得る存在などいないのだと、再確認した。
 人間が狂い、壊れ、全てを失う程の『苦しみ』を乗り越えた彼にとって、彼女一人の発狂など些事に過ぎなかったが、それでも彼の本性は彼女の痛みに共感した。

場面1『それを正義と呼ぶらしい』

『にせもの』

【第二章】『正義』

 《正義》とは何か。
 ーー本質的にそれは「集団にとって都合の良い事」であり、集団を助ければ正義、邪魔すれば悪となる。

 《民意》とは何か。
 ーー本質的にそれは「集団の妄想」であり、集団が受け入れれば善人、集団が拒絶すれば悪人となる。

 言ってしまえば、集団などただのカルト教団に過ぎず、その教団に仇(あだ)成すものを成敗する事すら《正義》と呼ばれ、相容れない存在を悪人に仕立て上げる事すら《民意》と呼ばれている。


 動物には快、不快があり、獣は不愉快な存在を叩きのめして快楽を得る。
 人間はそのプロセスを正当化する為に《正義》という言葉を用い《民意》を育て、自らの原始的な欲求を文明的に満たしてきた。

 その結果、人間は悪を許さぬカルト以外の生き方を失い、本質ではなく額面、合理性ではなく快・不快で判断を行う『にせもの』だらけの下衆(ゲス)に成り下がった。


 しかしてその集団としての生き方に疑問を持ち、自らの判断基準に従い生きるとして、未だに人は快・不快や正当化から逃れる事ができず、ニーチェの言うところの『超人』に至る事はかなわない。

 つまるところ『ニヒリスト』とは《正義》や《民意》のカルト宗教からの独立を目指した異端者であり、新たな信じるところを持たぬ哀れな存在である。

 ーー悲しくも彼らは、結局自らの判断を正当化する為に「賢くなったつもりで」全てを否定し、新たな《正義》を作り上げるしかないのだ。

ーーーーーーーーー

 風紀委員のスズは、僕の『思想』に触れて、簡単に壊れてしまった。
 ーー別に、期待していたわけではない。

 初めて自分の『苦しみ』を分かち合えるような、相当の『苦悩』を持って生きてきた誰かを見つけて、少し喜んだ事を否定するつもりは無い。
 しかし彼女の逃げる様な目線や、思想そのものに『陶酔』したような様子は、すぐに彼女が『期待外れ』の『凡人』である事を直感させた。

 そんな『凡人』が『超人』に至るなどという考えは、また不必要に僕を失望させ、挙げ句の果てに獣そのものの欲望に従って『暴力』に走った。
 そこに理由を求めるのも不毛だが、スズが家に来て語った『裏切りの過去』の話を聞くに、物語の元凶は『アルトラ』にあると思われる。

 僕は、ヤツが嫌いだ。
 ヤツは自分の『暴力』を正当化し、ある種のプロパガンダによって自らの地位を向上させ、『にせもの』の社会を象徴するかのような《正義》に成り上がった。

 ーーなんだって?それならお前らの社会が求めるのは『ムカつくやつ』を否定し、それを『力で懲らしめる』だけの、集団リンチじゃないか。

 ーーでも奴らは、それを《正義》と呼ぶらしい。

場面2『地獄に落ちろアルトラ』

 例の暴力事件の後、面倒事に巻き込まれるのを避ける為、学校を一日休んだ。
 週明けの事、スズは彼女の暴力の被害者であるリンという少女とアルトラ、ついでに僕に対して謝罪をした。

「ケイ、ごめんなさい。あなたの言うとおり、私は人間として間違ってた。」

 別に彼女を正してやろうというつもりも無ければ、正直暴れる事は予見出来ていたので怪我の一つも負わなかったので、謝られる事は無い。
 ーー強いて言えば使いもしない、新品同様の教科書の一部が机が倒れたときの衝撃で少し傷付いたが、別に気にもしていない。

 そんな何を謝っているのかもわからない、上辺だけの謝罪にマトモに応える気もないので、まずはため息で返事をした。

「……やっぱり、『にせもの』には『にせもの』の言葉が相応しいな。」

 そんな皮肉に対しても反論せず、必死で頭を下げる『凡人』を相手にするのもアホらしいので、読み終えた本を机に置き、カバンから新しい本を取り出した。

 ーーだかしかし、何故彼女が謝る必要がある、確かに獣の欲求に従って傷を作った愚者は愚者だが、その原因になるアイツらは、何故彼女に、そして巻き込んだ僕にも謝らない?

 それがアイツらが嫌いな所だ、自らが起こした暴力に対してはその背景を照らす事で正当化したのに、自らが起こさせた暴力に関しては、被害者ヅラして背景など気にもせず、彼女をーーひいては僕を原因として発生した事件だと、本気で思っているのだろう。

 確かに、スズに『超人思想』を教えようとした僕にも原因はある、ならばむしろーー彼女に報いる為には、僕が【アルトラをもう一度地獄に叩き落とす】必要があるだろう。

 ムカつくやつに一泡吹かせながら、自らの過ちを取り返すプランに思わず笑みが溢れて、それをちょうど頭を上げたスズに見られてしまった。

「スズ、安心すればいい、お前の望む通り、みんな地獄に落としてやる。」

 スズはそれを聞いて、自らの『にせもの』の《正義》に従い「お願い、もうやめて」と言いながら再び許しを請うたが、既に彼女の『本心の叫び』を聞いた僕には、今の彼女の上辺だけの言葉など通じなかった。

場面3『正義の証明』

 まずはアルトラの過去を知る必要がある。
 とはいえ、彼が起こした事件自体は不登校だった頃の僕の耳にも入ってきており、問題は彼がどのようにして自らの暴力を『正当化』したかが分からない事だった。

 しかしそれも簡単な事だ、同級生に『アルトラに関する話』を聞くだけで、彼がどんなプロパガンダを行っていたのかなど、すぐに分かった。

 曰く、ヤツとリンにちょっかいを出す他の問題児を返り討ちにしただとか、過去の暴力自体がロリコンだった当時の担任を成敗する為の行為だった、という話が出回っているらしい。

 主にこの二つが【《正義》の証明】であるのなら、まず問題児との出来事を『悪人同士の抗争』に仕立て上げ、次にロリコンのレッテルを貼られた当時の担任を、職務上正当な行為を行っていた『善人』である事を証明すれば良い。

 後者に関しては少し難しいが、前者を実行した上で『効果的な噂』を流せば、自然と当時の担任のイメージを変える事も可能だろう。
 とはいえ、僕自身も当時の担任が嫌いで、密かに車のタイヤに釘を踏ませる罠を作るなどするくらいにはそもそもイメージが悪いのだが。

 しかし最初に『アルトラという悪』を作り上げた策士でもあり、実際に職務上問題となる行為は大して行っていないはずだ。

 さて、前者を達成するには少し芝居を打ち、もしかしたら怪我をする可能性もあるが、その時には多分《正義》のヒーローがのこのこ現れて、自ら失態を晒してくれるだろう……。


 アルトラに成敗された《悪》の集団を特定し終わり、幸いにもそのメンバーの一部が同級生であることが判明し、作戦は即時実行出来そうだった。
 しかし念の為、直接暴力を振るわれる可能性を下げる為の計画を練ることにした。

 《正義》と《悪》の下校のタイムラグーーアルトラは意図的に《悪》との偶発的な接触を避ける為、少し遅らせて下校するようにしているようなので、どの程度《悪》に暴力を振るわせないように足止めして、どのタイミングで暴力に走らせるかを計算する必要があった。

 一週間の観察で、どちらも大体決まった時間に動いており、アルトラは5分程度のタイムラグを設けて下校している様だった。

 つまり、アルトラが玄関付近に辿り着く5分間、不良どもを足止めしつつ、暴力装置が即座に起動するタイミングを見計らってゴミ共を挑発し、暴力の素振りを見せたタイミングで玄関に向かって逃げ込められれば『ケンカ』が発生するという算段だ。

 そして、その様子が『抗争』である事を喧伝すれば、ヤツの【《正義》の証明】は根底から覆されるだろう。

場面4『暴力装置』

「やあ、ごめんけど少し話を聞いてもいいかい?」

 水道で喉を潤わし、そそくさと帰って他の仲間と合流しようとしている不良どもを呼び止め、「あぁん?」という威圧的な態度にも怯えず、足止めを実行する事にした。

「ねえ、君達ってアルトラと『抗争』してるって本当?」

 三人の不良が互いに目線を送り合って、アホっぽく「ぎゃははは」と笑った後で、「確かに『戦争(センソー)』してるわな、あのトラとは」と、上機嫌でお互いを見合いながら答えた。
 かかった。あとはこの間抜け共の機嫌をとりながら、馬鹿の到着を待てば良い。

「なるほど、だからアルトラはゆっくり下校してるんだ。なーんだ、『あの』アルトラがヒーローだなんて嘘みたいだと思ってたけど、やっぱり勝てる相手にしか挑まないのかな。」

 その後も間抜けが喜びそうな話題で、時間を稼ぐ。たった5分を稼ぐのは、とても簡単だ。
 そして、予定通りアルトラが予定外の動きをしている不良どもに気付き、玄関で様子見をしているのが確認出来た為、作戦は次の段階に移行する。

「ーーでもまあ、お前らもアルトラが来る前にそそくさと逃げて、大して強くはないんだろうな。」

 つい数秒前まで『面白い話』をしていた人間に突如煽られ、不良どもは「んだとテメェ!!」などと怒鳴りながらこちらに突っ走って来た。
 そのまま予定通り暴力装置のある玄関の方に走り逃げ、目の前の騒動に反応した《正義》の『ヒーロー』は不良どもにラリアットを食らわせ、周りの人の目など気にせず彼らを蹴り、殴り、圧倒的な暴力の力を見せつけた。

「ケイ、大丈夫か!?」

 もう遅い。お前は地獄に落ちるんだ。

「や、やめろアルトラ!人をそんなふうに、『抗争』の口実に使うなんて!!」

 そんな言葉に唖然としながら、転んでいる僕に差し伸べようとしていた手を払い、更に追撃する。

「やめてくれ!また殴るのか、あの頃みたいに、気に入らない奴は殴ろうっていうのか!!」

 周りの注目が大声を上げる僕達の方にいっそう集まり、僕の演説は始まる。

「あの先生だって、先生としてやらなきゃいけないことをしてただけなのに、お前は殴ったよな!?こ、今度は僕まで殴ろうっていうのか!?」

 彼の暴力劇を観ていたオーディエンス達は、次第にヒソヒソと噂話を始める。
 見かねたアルトラの側近の女が「ち、ちがう!」と言って彼が差し伸べた手に抱き着いて、何かを否定する。

「あっ、お前は友達からアルトラを寝取った奴、お前のせいで僕まで寝取られたヤツに殴られかけたんだからーー」

 そこまで言ったところで、暴力装置の強烈な蹴りが僕の脇腹を抉った。

場面5『お前に正義はない』

 あの馬鹿野郎、蹴りやがったぞ。
 想定外の阿呆の一撃は、脇腹の骨のない部分をクリーンにヒットしたようで、側近の女が居なければ肝臓が破裂していたんじゃないかという程の威力があった。

 でも、間違いなくこれでヤツが築き上げてきたであろう信頼は、地の底に落ちる。
 ざまあみろ。


 逃げていった不良どもの分まで到着した救急車は、目下の急患を乗せてそのまますぐ近くにある県病院まで走った。
 思わず痛みも忘れて「あはははは」と笑う僕を見て、容態が深刻なのではないかと、いっそう焦った救急隊員には申し訳ないが、勝ち確定の状況で笑うなと言う方が無理がある。

 アルトラは終わりだ。
 スズの『本心』が望んだ通り、ヤツは地獄に落ちる。
 ざまあみろ、ざまあみろ!
 アルトラ、お前に《正義》はない!


ーーーーーーーーー

 骨にも内臓にも、どこにも異常がない事が確定して、退院が決まったのは結局週明けの事だった。
 おばあちゃんは気が気でない様子で、毎日面会時間いっぱい横にいて様子を見てくれた。

「ケイ、災難だったねぇ。相手の子、警察に連れて行かれたんだって。」

 「そっか。」と、出来るだけ感情を見せないように返事をして、内心ではニヤケが止まらず大変だった。
 ご愁傷さま、頭の悪さが祟って校内の信頼どころか、社会的な信頼まで地の底に落したな。

 まだ少し痛む脇腹を抱えながら、無事に退院した僕を迎えに来てくれたおじいちゃんは、普段無口で感情を表に出さない人だが、この時ばかりは「良かった」と、安堵のため息を吐いていた。


ーーーーーーーーー

 その後、簡単な事情聴取が行われて、結局アルトラには『2週間の自宅謹慎』が言い渡され、彼の父はわざわざ菓子折りを持って家まで土下座をしにきた。
 なんだ、もっと重い罪に問われれば良かったのに、いっそこの際に法律の勉強でもして、またアイツに関わる事があったらもう一度地獄に落とし直してやろうかな。

 ああ、まだ自分が『超人』でなくて良かった、なにせ嫌いな奴の不幸の味は、甘くて甘くてたまらない。

場面6『可哀想に』

 月曜日は事情聴取の為に休みを取り、火曜日に登校してみると、そこにアルトラを寝取った女ーーリンの姿はなかった。
 なんでも、アルトラを止められなかった事を苦に、なんと自殺まで図って休養中らしい。

 可哀想に。いずれ暴走する暴力装置だと分かっていたなら、それくらいは覚悟しておくべきだったな。

 スズは授業にもまともに集中出来ないくらい気が動転しているらしく、僕の顔を最初に見た時には「お前なんかと関わるんじゃなかった」と、吐き捨てるように言った。

 可哀想に。『にせもの』なんて信じなければ、この上なく痛快で、最高の復讐劇を楽しめたというのに。

「どうした、スズ。望み通り、二人とも地獄に落としてやったぞ。」

 休み時間中に机に突っ伏してうずくまるスズに対して、願いを叶えてやった事を伝えたが、スズは泣き出すばかりだった。

「ーー恨むなよ、ちょっと上手く行き過ぎただけじゃないか、そんなに泣く事はないだろうに。」

 僕がそう言うと、スズは真っ赤に晴れた、刺すような目で僕を睨みつけ、叫んだ。

「お前は……!自分の《正義》を正当化する為に、私に責任を押し付けた『ひとでなし』だ……!お前こそが一番、自分を生きる事なく、他人を不幸にして楽しんでるだけの『サイコパス』だ……!!」

 スズの『ホンモノ』の眼に気圧され、思わず「ちが……そんなつもりじゃ!」と、後ずさりしながら応えた。

「お前が地獄に落ちろよ、お前が!!悪いと思うなら、地獄に落ちろ!!私の望みを叶えたいというなら、お前が地獄に落ちろ!!」


ーーーーーーーーー

 アルトラがいない世界に、意味なんて無い。
 なのにお父さんは、開口一番「だからアイツはやめておけと言っている」と、またアルトラと別れる事を勧めてきた。

 彼は危険だと、彼は間違いを犯すと、周りの大人達は私に何度となく忠告してきて、その度に私は『アルトラに間違いを犯させない』事を胸に誓い、頑張ってきたつもりだったのにな。

「ごめんなさい、アルトラ……幸せ、続けられなかった……。」

 キッチンから盗んできた包丁を、風呂場に持ち込み覚悟した。
 とびきり大きな切り傷が、私の手首に死を刻み、真っ赤に染まった浴槽に、私の意識は落ちていた。

場面7『過去を暴けアルトラ』

 まだ、生きている。
 血を補充する為の管が、切り傷とは逆の手を拘束し、私の命を繋いでいた。

「リン、すまなかった、お前を守ってやれなくて……」

 父の第一声は、私の無事に安堵しながらの謝罪だった。
 まだボヤッとする意識の中で、私はただ虚ろに、「アルトラ、アルトラ……会いたい……」と呟いていた。


 私は、誰よりもアルトラを、心の底から愛している。
 スズちゃんには申し訳ないけれど、これだけは絶対に誰にも譲れない。
 友達は「依存だ」と笑ったが、その通りだ。
 私はアルトラに依存していて、この世界の唯一の価値とは『アルトラの存在』に他ならない。

 以前に恐れていた通り、アルトラの過去を知る人が現れ、全てを暴いて、今までにアルトラが積み上げてきた何もかもを、壊してしまった。
 意識がはっきりとしてきて、なんとか冷静さを取り戻した私は、来週退院したらすぐにでも学校に戻る事を決意した。

ーー誰にも理解されないままで、彼が再び苦しんだままで、終われない。
 過去を暴け、アルトラ。誰かがいつまでもあなたを悪だと決めつけるとしても、私はあなたの《正義》を信じて、もう泣かなくてもいい日々を手に入れるんだ。


ーーーーーーーーー

 アルトラの側近にして、自殺志願者のリンが一週間ぶりに登校して来て、スズは泣きながらリンに抱き着いていた。
 ーー僕には関係ない、傷の舐め合いを行っているだけの女達にはそれ以上目もくれず、再び読書に戻ろうとしたところに、彼女はやってきた。

 リンは僕の席の前に立ち、ゆっくりと床に膝を着き、頭を床に着けて、静かにーー皆が注目する中で、土下座をした。

「ケイくん、ごめんなさい。アルトラは、あなたが私に対して何か酷いことを言ったと勘違いしたみたいです。」

 なんだなんだ、と他のクラスの野次馬達が教室のドアの向こうから見物に来ているのにも気にせず、リンは土下座を続けた。

「あなたの言ったことは事実で、私は彼女、スズちゃんからアルトラを略奪しました。抜け駆けして告白して、ついこの間やっと、少し許してもらえたのです。」

 ーーこの女に恥はないのか、と思える程に覚悟が決まった演説は、みるみるうちに聴衆を集め、1分もしないうちに、この教室は彼女の舞台となった。

「どうか、アルトラを許してください。全ては私が間違った事をしたのが原因で、スズちゃんにも、あなたにも痛い思い、悲しい思いをさせてしまいました。」

 左手に巻かれた包帯が汚れるのも気にせず、尻が浮き上がる程深々と頭を下げーー聴衆が美しいと感じてしまう程の『誠意』を見せる彼女に、僕も次第に目を奪われていった。
 そして謝罪の対象は僕だけでなく、さんざん惹き付けられた野次馬の側にも向かう。

「みんなにも、謝らせてください。アルトラは、みんなの信頼を得たくて、自分の『暴力』を誰を守る《正義》の力として行使してきました。それでも、今回は『勘違い』で悪くない人を攻撃してしまいました。」

 廊下に向かって下げられた頭に、何故か釣られるようにしてスズまで皆の方に頭を下げていた。
 しかし聴衆は、「そんな恐ろしい話あるかよ」と、嘲笑うように言った。

場面8『解』

 かえってむかっ腹が立つ。
 この女は、およそプライドと呼べるものを全て捨て、たった一人の男の為に本気で頭を下げている。
 余程依存しているんだろう、地獄の底に落とされてもなお、あの男の為になら何だってする。

「ケイ……私からも、その、ごめんなさい。私自身の件も、アルトラの件も。」

 リンが聴衆に謝罪している間に、スズは僕に向かって頭を下げた。
 ーーああ、確かに彼女達は本物だ、誰に支配されるわけでもなく、ただ自分の《正義》に従い、自分の責任で生きている。
 たった一つ、信じるべき何かを芯に持ちながら、例えそれが自分達を裏切ったとしても、依然として自らの責任に由来する《正義》を信じ続けている。

 ーー結局のところ、『超人』がなんなのかは、僕自身も結論を出せていないし、多分ニーチェも、最期を鑑みるに到達していないのだろう。
 それでも、今目の前で頭を下げている彼女達は、心の底からーー自らの『ホンモノ』の意思に従っている。
 それが『ニヒリズム』の先にある答えか。それと心中出来る程の何かを見つける事が、生き方の『別解』なのか。

 少なくとも、その生き様に心を動かされた僕は、彼女達を許そうと思った。
 席を立ち、無抵抗のリンの左腕を掴み、立ち上がらせて腕を掲げた。

「アルトラは、これを望んでいない。ここまで自分を信じてくれる誰かが、自分の間違いで傷付く事を望んでいない。」

 皆に見えるよう、床の汚れで黒っぽくなった包帯を剥がし、大きく痛々しい『線路』の痕を聴衆に晒す。
 その傷跡は、彼女の『ケジメ』がどれ程のものであったかを物語り、彼女こそが暴力装置の『制御装置』であるのだと、僕は聴衆に語った。

「つまり、僕は彼女を愚弄するような事を不用意に、口を滑らせて言ってしまったからアルトラに蹴られたが、この結末を知った彼は、きっと二度と率先して暴力を振るうことはない。」

 食い入るように痛々しい傷跡に目を向けたり、逆に共感覚で痛みを与えられないように目を背ける者達がいるなか、僕は全員に答えを聞かせる。

「僕からも、あんな事を言って申し訳なかった。アルトラは僕から君を守る為に戦ったんだ。そして君がアルトラを守る為に戦うなら、二度とこんな事は起きないだろう。」

 和解の演説が終わると、どこからともなく拍手が聞こえ始め、自然と連鎖したそれが意味するのは、『にせもの』が再び彼を受け入れる決定をした、というもののようだった。

場面9『無意味』

「ケイ、その、ありがとう。それと地獄に落ちろとか言ってごめんなさい。」

 帰りのホームルームの後、スズは改めて話しかけてきた。
 痛い思いまでして、せっかく嫌な奴を地獄に落としたのに、結局得るものはーー『ニヒリズム』への対抗手段を一つ知った程度だった。

「スズ、君はこれから何を信じて生きていく?」

 期待外れの『凡人』が、『ニヒリズム』の深淵に落ちた時、あるいは彼女は二度と人間には戻らないかも知れないと思っていた。
 しかし意外にも早く『にせもの』に順応して生き始めた彼女に、多分僕は興味を持っていた。

「なんだろう、神様でも自分でもないし、好きな人でもなければ、多分友達でもない。」

 そして、彼女はしばらく『今自分にあるもの』を探して、大したものが無いことを確認して、それから何か分かったかのように話し始めた。

「私は、将来とか夢とか、そういうのを信じて生きてみようと思ってる。」

 「あなたはそういうの嫌いだと思うけど。」と、久しぶりに皮肉っぽい言い回しをしながら、僕の机に手を置いた。
 ーーああ、嫌いだとも。未来なんて、僕が一番嫌いなものだ。

「その夢の先、未来の果て、全ては結局、《終点》に辿り着くじゃないか……。」

 何度となく「いつか幸せになれる」と励まされ、何度となく『未来』を考えたが、皆が言う将来というのは、結局ただの《中間》に過ぎない。
 最後、必ず訪れる《終わり》に必ず裏切られるのに、何故そんなものを信じて生きられるのか。

 そんな事を考えているうちに、思い出さないようにしていた過去ーー両親が事故に遭った日の事を思い出して、手が震えてくる。


ーーーーーーーーー

 家の近くの交差点で、トラックと衝突してぐしゃぐしゃになったウチの軽自動車の中に、まだ両親が取り残されていると聞いて、当時まだ小学五年生だった僕はその意味がすぐには分からず、あんな狭い所に人がいるわけ無いじゃないか、と思った。

 近所のおばさんが、「大丈夫、大丈夫だからね」と泣きながらーー何が大丈夫なのかは分からないが、僕の目を覆うようにして、意味もなく抱き着かれたのを覚えている。

 救急車が『何かの塊』を二回運び出したのと引き換えに、病院からは両親の死を知らせる紙と、覗き口がない棺桶が二つ届けられた。
 その棺桶が両親のものだと教えられても、僕は飲み込めなかった。

 棺桶に向かって泣いたり、叫んだりする叔父さんや叔母さんが、僕を慰めてくれる度に、何故だが僕まで涙が出てきた。
 それで、ずっと拒絶していたかった現実が、大好きだったお父さんとお母さんにはもう二度と会えないという事実が、もう決まってしまった未来であり、否定のしようがない『真実』なのだと理解してしまって、喉が張り裂けるくらい叫んで、泣いて、抱きしめられながら二人を必死で呼んだ。

 ーー幸せは、やがて終わる。
 人生そのものの《終点》が『死』なのだから、どれだけ上手く生きようと、どれだけ善く生きようと、最後の最後には全てが『無意味』になり、究極的にはどんな物語だって、『中間』を祝う事が出来ても、その先には『死』という悲劇が待っていて、それから逃れる事は誰にも出来ない。
 それだけが、疑いようのない『真実』なのだ。

場面10『思し召し』

 「ケイ、ケイ!」とスズが必死で茫然自失とした僕の肩を揺すり、魂を現実に引き戻した。

「ケイ、大丈夫?顔真っ青にして、震えてた。保健室に連れて行こうか?」

 スズは心の底から心配した様子で、僕の額に手を当てながら聞いた。
 そんな手を振り払いながら、「いやいい、帰る。」と言いながら、本をポケットにしまって席を立った。
 しかしスズは「ちゃんと保健室で見てもらいなさい。」と言いながら、僕の後ろについて来る。

 結局、学校を出て帰路につくも、スズは「心配だから送ってく。」と言って、勝手について来るので、もう諦めて「好きにしろよ」と言い放った。

「最近あんまり東小の方に来てなかったから、なんか懐かしいなぁ。」

 スズは人を心配して来ている割には気楽に、観光モードで何の変哲もない住宅地を見渡していた。
 思わず「何しに来たんだよ」とツッコむと、少し気まずそうに「別に、リンと一緒にアルトラの様子見に行くついでだし。」と、被害者相手に遠慮なく加害者の心配をしている事を明かす。

「なら、途中でアイツの家に寄ってやる。」

 「別に、二人の時間邪魔しちゃ悪いし」と言いながら、着いていくと言っていたはずのスズは何故か先行して歩き出した。

「そんなに早く会いたいなら、どうして取り返そうとしないんだ?」

 そう言うと、スズは振り返りながら「私では、二人を引き剥がせやしないから。」と、少し悲しそうに言った。
 見通しの悪い交差点の真ん中で、悲しそうに振り返りーートラックが突っ込んで来ているのにも気付かず、調子に乗って後ろ向きに歩く。

「スズ!危ない!」

 気が付けば、手に持っていた本もアスファルトの上に落として、僕はスズにありったけの力でタックルをかまし、僕よりか弱い少女を吹っ飛ばした。
 スズは小さな悲鳴をあげながら、1.5mほど吹き飛ばされて、対向車線の横断歩道の入り口辺りに尻から着地した。

「なにをーーっ!!」

 スズは抗議しようと僕を睨みながら、叫ぶ途中で僕の意図を知る。
 途端に時間がゆっくりと流れる感覚になる。
 これが走馬灯と言うやつか、その割に思い出が浮かび上がる事もなく、ただ「僕は何やってんだ、ほんと」と思うばかりだった。
 ーーしかしまあ、目の前のゆっくりと流れる時間が面白くって、思わず笑ってしまう。

 スズの驚きと、恐怖と、絶望が入り混じった顔は滑稽だった。
 彼女が願った事がちゃんと叶ったのが、神様の思し召しのようで滑稽だった。
 何より、自分が身を挺してまで、自分が嫌いな『にせもの』を助けようとしたのが、一番滑稽だった。

 でもーー最後に心から笑えたのは、いつだったっけな。
 そんな事を思い出す暇もなく、僕の意識は十数トンの重圧に叩きつぶされた。
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